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きかは便郵116 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介116回目。今回は「熊谷寺」です。
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熊谷寺の瓦葺の門と鐘楼が写されています。鐘楼の右側には奴伊奈利神社の鳥居があります。鐘楼の前には大きな石碑が建てられています。門前には石碑と高札、道を挟んで角柱状の「熊谷連生法師舊蹟」と刻まれた石碑が建てられています。写真下には「(熊谷名所)熊谷寺前門の景(熊谷驛より六丁)」と印字されています。
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熊谷寺本堂です。左手には大きな松が植えられており、根元には大きな石碑が建てられています。写真下には「(熊谷名勝)連生坊熊谷寺」と印字されています。
熊谷寺は、浄土宗の寺院で、開基は建久4年(1193)頃に、熊谷直実(1141-1207)が出家して、熊谷館の一郭に庵を結んで僧俗に開放して教えを説いたとことに始まり、その後、天正19年(1591)にその庵の跡に、幡随意上人(1542-1615)が、寺院を建立したと伝えられています。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2になっていることから、大正7年(1918)以降。
3.熊谷寺の再建は、明治40年3月29日。
以上のことから、この絵葉書は、大正7年から昭和8年の間に製作されたものと推測されます。

きかは便郵115 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介115回目。今回は武州銀行熊谷支店です。
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石造(?)一部3階建ての建物で、入口には、「株式会社 武州銀行 熊谷支店」の表示が取り付けられています。道路の建物よりのところは砂利敷きとなっており、左隣の建物との間の道路上には、井戸枠が残されていることから、中山道の道路拡張所工事中と思われます。
写真下には、「武州銀行熊谷支店新築記念」と印字されています。
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銀行の内部です。2階までの吹き抜け構造となっており、カウンターは艶のある石材(大理石?)が用いられています。天井からは、アンティークな照明が吊り下げられています。
写真下には「武州銀行熊谷支店新築記念(内部)」と印字されています。前回紹介した「株式会社足利銀行熊谷支店」同様、新築記念に撮影され配布されたものと思われます。

武州銀行:大正7年11月に埼玉県浦和町(現さいたま市)に設立された銀行で、大正10年10月に熊谷銀行(明治27年創業)を合併し、熊谷支店となる。その後、昭和18年7月には、武州銀行、忍商業銀行、第八十五銀行、飯能銀行が合併し、新たに埼玉銀行が誕生。平成3年共和埼玉銀行、平成4年あさひ銀行、平成15年埼玉りそな銀行となり現在に至る。

この絵葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3.武州銀行熊谷支店は大正10年(1921)設立で、昭和18年(1943)まで存立。
以上のことから、この絵葉書は、大正10年(1921)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。

きかは便郵114 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介114回目。今回は「熊谷堤の櫻花賑ひ」です。
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桜の咲く荒川堤の下は和服を着た大勢の人で賑わっています。軒の高い簡易建物には万国旗が下げられ、脇には「斬新 奇抜 自転車曲乗 早川興行部」の幟が出されており、花見客目当ての自転車曲芸の見世物が行われていたことがわかります。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3. 桜堤が、大火で焼失したのは大正14年(1925)
以上のことから、この絵葉書は、大正7年~大正14年の間に製作されたものと推測されます。

きかは便郵113 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介113回目。今回も、熊谷堤の桜で、前回紹介した残りの3枚です。
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堤の上に植えられた桜の枝が、堤の下まで伸びており、枝を支える棒が立てられています。堤の上や堤の下には大勢の和服を着た花見客が写っており、左下には乳母車を押す和服を着た女性の姿も見えます。
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桜は堤の上と、堤下にも植えられていたことがわかります。
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堤の外側に接して灯篭と、木製の鳥居があり、桜の陰には神社のような建物が写っています。神社の脇には大きな石碑が建てられており、写真左手には、塚状の高まりが写っています。塚の下部には石が葺かれており浅間塚と推測されます。
この写真の場所ですが、桜堤に接して神社があることから、現在の上熊谷駅付近に所在した、大神宮社と浅間神社と推測されます。現在のこ神社は取り壊されていることから、当時の様子がわかる貴重な写真です。
↓は、大正3年ころの土手外商店街が描かれた地図です。線路脇の桜堤に接して大神宮社と浅間神社が位置しています。
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この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3. 内務省から名勝の指定を受けたのは大正12年(1923)で、大火で焼失したのが大正14年(1925)
以上のことから、この絵葉書は、大正12年~大正14年の間に製作されたものと推測されます。

きかは便郵112 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介112回目。今回は、熊谷堤の桜です。
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「熊谷堤の櫻」と印字された包紙に入れられた8枚組の写真です。8枚中2枚は、以前きかは便郵5ときかは便郵22で紹介しています。
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荒川堤の脇に商店が並んでいます。堤の上には「中村寫眞館」「御料理 清乃家屯店 熊谷墨江町」「■■小間物 三井家」の看板が立てられており、堤下には高札が掲げられています。
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右側堤の斜面の階段には小さな鳥居が5本建てられており、和服を着た花見客が写っています。鳥居の先の左手には、瓦葺の建物が写っており、祠のような建物が堤の上に建てられていたようです。
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堤の上には、「太田屋」「中村寫眞館」と書かれた木製のボンボリが立てられています。写真右下には、桜堤と並行して走っていた秩父線または高崎線のレールが写っており、線路際の桜堤で撮影されたものと思われます。
写真の下には、「熊谷堤の櫻(内務省名勝保存指定)」と印字されています。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3. 内務省から名勝の指定を受けたのは大正12年(1923)で、大火で焼失したのが大正14年(1925)
以上のことから、この絵葉書は、大正12年~大正14年の間に製作されたものと推測されます。

きかは便郵111 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介111回目。今回は熊谷町大門に建てられていた老舗の田島屋旅館です。
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新築落成記念につくられたイラスト絵葉書です。木造3階建て、瓦葺の建物で、玄関脇には大きな春日灯篭が建てられており、クラシックな黒塗りの車が停車しています。玄関には「旅館田島屋」の看板が下げられており、屋根の軒下隅には風鐸が下げられており、格式の高い旅館であったことがうかがえます。
通信欄には、昭和5年9月28日の消印が押されており、1銭5厘の切手が貼られています。

本旅館は、昭和20年の熊谷空襲で焼失したものと思われます。
熊谷にはこの他の旅館としては、本町三丁目に「松坂屋旅館」「布施田旅館」、本町に「今井旅館」「清水旅館」がありました。

きかは便郵110 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介110回目。今回は「株式会社足利銀行熊谷支店新築記念」です。
足利銀行は、明治28年(1895)10月栃木県足利郡足利町にて営業開始 した銀行です。
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この絵葉書は、昭和8年9月に、足利銀行熊谷支店(現:熊谷市本町1丁目127-1)の新築を記念して作成されたものです。
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石造(?)2階建ての、窓の少ない四角い建物です。入口には「株式会社足利銀行熊谷支店」の看板が掲げられ、両脇には、古代ギリシャ建築ドーリア様式を模した柱の意匠が施されています。正面脇は駐輪場となっています。
内部は、カウンターで囲まれており、「株式会社足利銀行熊谷支店営業室ノ一部」と印字されています。
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きかは便郵109 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介109回目。今回は、「有限責任熊谷信用組合」です。
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石造(?)2階建ての四角い建物で、屋上には「信」の文字を意匠化した組合章が掲げられています。2階部分には、柱頭の渦巻き飾りが特徴の古代ギリシャ建築イオニア様式を模した柱の意匠が特徴的です。
shashou.jpg組合章
熊谷信用組合は、明治33年(1900)に公布された産業組合法によって、熊谷市大字熊谷2802番地(現:熊谷市本町1丁目130番1)に設立された協同組合です。昭和22年(1947)には、熊谷・浦和・大宮・川越・秩父・本庄・行田・羽生・加須信用組合により埼玉縣信用組合が設立され、市街地信用組合法により認可され、昭和26年(1951)信用金庫法に基づき、埼玉縣信用金庫となっています。
本店営業部が置かれたこの建物は、戦後建て替えられ、現在さらに新しい建物を建設中です。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
3.熊谷信用組合は、明治33年(1900)設立で、昭和22年(1947)まで存立。
以上のことから、この絵葉書は、大正7年(1918)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。

きかは便郵108 [きかは便郵]

熊谷地域の昔の絵葉書紹介108回目。今回は「熊谷堤の桜」です。
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旧荒川堤に植えられた桜が満開の写真です。
写真の上にはこの桜を詠んだ歌が記されています。
「江戸から こここまで 熊谷堤 花の廊下の 月あかり ー芦江ー」
「我も叉 阿弥陀笠 着て 咲く花に うしろは 見せぬ 熊谷桜 ー三陀羅ー」
「山さくら 枝のすきまを かそふれば 春はまばらに なりにける哉 ー野雁ー」

芦 江は、文人の平山芦江(1882-1953)と思われます。神戸生まれ、本名は壮太郎。実父の死後に長崎の酒屋、平山家の養子になった。日露戦争中満州に渡り、帰国後は「都新聞」などの花柳・演芸欄を担当。大正15年長谷川伸らと第1次『大衆文芸』を創刊。都都逸、小唄の作詞も行う。作品に『唐人船』『西南戦争』などがある。
三陀羅は、狂歌師の三陀羅法師(1731-1814)。この歌は、三陀羅法師が文化5年(1808)3月13日熊谷を訪れ、漢学者青木金山主催の石上寺で開催された書画会に、窪天民、浦上春琴、谷文一、釧雲泉らと共に臨席した際に詠んだもので、熊谷直実の歌詠「浄土にも剛のものとやさたすらん。西に向ひてうしろ見せねば」に拠ったものです。
野 雁は、歌人・国学者・万葉学者の安藤野雁(1815-1867)。福島県桑折町で生まれ。野雁は、晩年を武蔵国冑山(現熊谷市)の根岸家を中心に滞在しており、この歌は、荒川の熊谷桜堤を見て詠んだものです。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
以上のことから、この絵葉書は、大正7年(1918)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。


きかは便郵107 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介107回目。今回は「今井旅館」です。
今井旅館は、高木神社参道脇の本町中山道(本町三丁目)に面して建てられていた老舗旅館です。昭和20年の熊谷空襲で焼失し、その後建てらえられましたが平成8年に廃業しています。
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木造2階建て、瓦葺の建物で、玄関脇には「今井旅館」の看板が掲げられています。玄関前には3台の人力車が待機しています。写真下には「中仙道熊谷町 今井旅館 電話熊谷九番」と印字されています。
本絵葉書は、今井旅館で配られていた3枚セットの絵葉書の1枚で、他の2枚は、今井旅館の内部と熊谷寺が写されています。
この他の旅館としては、本町三丁目に「松坂屋旅館」「布施田旅館」、熊谷寺大門に「田島屋旅館」がありました。

この葉書の製作年代ですが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)年2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2になっていることから、大正7年(1918)以降。
以上のことから、この絵葉書は、大正7年から昭和8年の間に製作されたものと推測されます。
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