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令和元年度 第1回熊谷市文化財保護審議会の開催 [その他]

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 2019年6月21日、令和元年度第1回熊谷市文化財保護審議会が熊谷市立江南文化財センター講座室にて開催されました。今回の審議会では、平成30年度における本市の文化財保護事業の報告、協議として令和元年度における事業計画、文化財の指定に向けた調査に係る諮問などについて協議を行いました。文化財指定に向けての調査に関しては、「中西遺跡出土土偶一括」などの調査検討をはじめ、特に考古資料についての協議が主たる内容となりました。それらの提案事項の全てが承認されました。文化財としての価値理解に向けて審議会委員及び事務局では、年間を通しての調査を実施する予定です。




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熊谷市文化財保護審議会の開催 [その他]

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審議会での調査報告


 3月20日、熊谷市文化財保護審議会の会議が熊谷市立江南文化財センターで開催されました。当審議会は熊谷市教育委員会の附属機関として本市の文化財保護行政に関する協議や文化財の指定答申などを行う役割があり、年に2回ほど開催されます。今回は平成30年度第2回の会議であり、文化財指定に関する審議や幡羅官衙遺跡群の特別展などの報告がありました。また、本年度、ものつくり大学で実施した熊谷市小八林にある「長島記念館」の調査について、横山晋一委員(建築史)から報告がありました。



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熊谷市文化財保護審議会行政視察 「歓喜院聖天堂」「光恩寺長屋門」 [その他]



 熊谷市文化財保護審議会の行政視察が妻沼聖天山本殿の国宝「歓喜院聖天堂」及び群馬県千代田町にある光恩寺で行われました。聖天堂で実施中の美装化事業の現地視察と、旧俵瀬村出身で日本初の女性医師となった荻野吟子の生家から光恩寺に移設された国登録有形文化財の長屋門などを視察しました。途中、利根川の赤岩渡船を利用し、埼玉県から群馬県の県境を行き来しました。利根川を挟んだ地域はかつてから多くの文化交流があり、県域を超えた歴史に想いを馳せました。


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国宝「歓喜院聖天堂」美装化事業の現地確認


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埼玉県側にある黄色い旗を揚げると、千代田町から船が迎えに来てくれる。


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船上からは両岸のほか遠く赤城山や利根大堰を見ることができる。


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光恩寺に移設された荻野吟子生家の長屋門を前に



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中条堤―3  堤の現況と歴史的な評価 [その他]

 中条堤の歴史や機能への研究は多くの研究者により進められていますが、その一人に皇太子殿下-徳仁親王がおられます。平成21年3月トルコで開かれた「第5回世界水フォーラム」において、唐古鍵遺跡や「中条堤」を取り上げて、『水とかかわる-人と水との闘い』と題した基調講演をなされています。 講演に先立ち同年2月には中条堤に立たれ、熊谷市域から行田市域に伸びる堤の現況と集落の配置などを目の当たりにされたようです。
 なお、講演の内容などは「宮内庁」ホームページから見ることができます。
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中条堤(日向地点の)説明版

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現在の福川水門―葛和田
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中条堤―2  堤の機能 [その他]

 利根川から中条堤の間は、自然堤防上に集落が乗り、合間は水田や畑地等が広がっています。かつては利根川の流路であり、中条堤が一時的に利根川の水を滞留させ、流量を調節する機能を持たせたことから、一旦氾濫すると堤内は水没し住宅や農作物などへの水損被害をまともに受けました。現在は利根川堤防により、中条堤の役割は少なくなっていますが、大規模土木遺産としてその姿と歴史的役割は長く記憶されるものです。
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中条堤(北河原堤)の説明版

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昭和22年(1947)の航空写真に見る中条堤と利根川
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中条堤―1  寛保の大水害と利根川の堤防普請 [その他]

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貴総門
 冬季の関東地方は乾季に当たっており、昔から土木工事は雨水の少ないこの時期に集中して行われてきました。とくに水防工事は多くの受益者が農民であり、農作業が少ない農閑期はその人手も集めやすいことから計画的に行われていました。その年の破堤や嵩上げなど修築や補修工事を来季まで持ち越さないように、堤の地固めや「水制」用の蛇籠に詰める河原石など採取には多くの人出を必要としていました。
 寛保2年(1742)8月、関東地方はかつてない荒天により主要河川は氾濫し甚大な被害を受けています。「寛保の大水害」といわれ、中条堤と利根川堤防も大きく破堤したようです。この水害による復興工事は幕府主導で諸大名に手伝わせる御手伝普請として同年11月より開始され、妻沼付近は長門岩国藩(吉川経永6万石)が担当しました。この復興工事は被害を受けた地元の老若男女の農民が人足として働き、賃銭を得て生活の糧とした救恤事業の一面がありました。
 この災害により、聖天堂の建築工事が一時中断したとされますが、岩国藩士との人的に交流の中から貴総門の設計協力が行われました。
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貴総門

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熊谷の「木遣り」と「塚」 [その他]

 建築工事の基礎工事として行われる「地形(じぎょう)」はかつての鳶職等の専門職人を中心に行なわれた。やぐらや足場を組み地固めに使われる「芯棒」を引っ張り上げ落とすことで地均しや地固めを集団作業で行うものであるが、機械化が進んだ今ほとんど見ることなくなった。この仕事歌として歌われたのが「木遣り」で、熊谷の木遣りは市指定民俗文化財となっており、保存継承活動を続けている木遣保存会では60種類ほどの曲目が伝承されているそうです。現在でも、「出初式」や「うちわ祭り」で歌われています。
 写真は成田地区と奈良・大幡地区に建てられた「木遣塚」です。事業に使われた芯棒をモニュメントとした木遣塚です。下部に縄掛用の突起が付けられています。熊谷市内にはこのような「木遣塚」が高城神社をはじめ5箇所余り建てられており、主要な仕事であったことを伝えています。
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成田地区に建てられた「木遣塚」 奈良・大幡地区に建てられた「木遣塚」

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水塚と堤防-1 [その他]

 利根川・荒川は市域にとって生みの母とも云えますが、時には大洪水を引き起こす手ごわい存在です。直実の時代からは洪水や被災した伝説が数多く残り、荒川には戦国時代に築かれた北条堤から明治期の萬平堤まで何度も築堤や修築が行われています。
 利根川ではより広範囲に洪水被害を受けることから戦国時代に築かれた文禄堤から江戸時代の寛保大洪水後の幕府直轄で行われた修堤工事、中条堤の増強工事などが大規模に行われています。
 水塚は小地域や個人宅に造られた洪水除けの施設です。重要な建物を流失させないためや、平地での避難先として盛り上げた建物基壇や丘がこれに当たります。市域には所々に遺されており、土木遺産として独特の景観をしています。
 なお、利根川流域を対象として調査された「『埼葛・北埼玉の水塚』東部地区文化財担当者会報告書第7集2013」は大変参考になります。
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水塚に乗る神社-上須戸 直径約30m、高さ約3m

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中条堤-上中条から日向付近
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荻野吟子旧居跡-(墨田区向島1丁目8番地) [その他]

 江戸東京博物館には、「最新出土品展」など見学するため、両国駅を利用して度々訪れます。ホームで時間待ちをしていたとき街路案内板にある「荻野吟子旧居跡(荻野医院跡)」の文字に気づきました。荻野吟子は熊谷市妻沼出身の公許女医第1号として知られ、埼玉県妻沼、北海道瀬棚・今金、そして東京に足跡を残しています。ここ本所区新町小梅町(当時)は吟子が北海道から戻り医院を開いた場所で終焉の地となったところです。現在、その場所は北十間川に係る源森橋を渡った交差点付近になります。最寄駅は浅草寺、東京スカイツリー駅が良いでしょう。両国駅からは散歩気分でどうぞ。思いがけず吟子終焉の地に巡り合った日でした。
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総武線両国駅ホームの案内板

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案内板拡大

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旧居跡にある説明板-東側の歩道に建つ
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縄文ZINE8 配布中 [その他]

 都会の縄文人のためのマガジン『縄文ZINE8』を、江南文化財センターで配布中です。
 今回の特集は、恋する縄文、女子目線の記事満載です。ちょうど、東京国立博物館で特別展『縄文』開催中の折、ご興味ある方は、残部10部ほどですがお分けしていますので、江南文化財センターまでお越しください。
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熊谷市立江南文化財センター
熊谷市千代329番地
電話 048-536-5062

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