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中条堤―3  堤の現況と歴史的な評価 [その他]

 中条堤の歴史や機能への研究は多くの研究者により進められていますが、その一人に皇太子殿下-徳仁親王がおられます。平成21年3月トルコで開かれた「第5回世界水フォーラム」において、唐古鍵遺跡や「中条堤」を取り上げて、『水とかかわる-人と水との闘い』と題した基調講演をなされています。 講演に先立ち同年2月には中条堤に立たれ、熊谷市域から行田市域に伸びる堤の現況と集落の配置などを目の当たりにされたようです。
 なお、講演の内容などは「宮内庁」ホームページから見ることができます。
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中条堤(日向地点の)説明版

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現在の福川水門―葛和田
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中条堤―2  堤の機能 [その他]

 利根川から中条堤の間は、自然堤防上に集落が乗り、合間は水田や畑地等が広がっています。かつては利根川の流路であり、中条堤が一時的に利根川の水を滞留させ、流量を調節する機能を持たせたことから、一旦氾濫すると堤内は水没し住宅や農作物などへの水損被害をまともに受けました。現在は利根川堤防により、中条堤の役割は少なくなっていますが、大規模土木遺産としてその姿と歴史的役割は長く記憶されるものです。
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中条堤(北河原堤)の説明版

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昭和22年(1947)の航空写真に見る中条堤と利根川
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中条堤―1  寛保の大水害と利根川の堤防普請 [その他]

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貴総門
 冬季の関東地方は乾季に当たっており、昔から土木工事は雨水の少ないこの時期に集中して行われてきました。とくに水防工事は多くの受益者が農民であり、農作業が少ない農閑期はその人手も集めやすいことから計画的に行われていました。その年の破堤や嵩上げなど修築や補修工事を来季まで持ち越さないように、堤の地固めや「水制」用の蛇籠に詰める河原石など採取には多くの人出を必要としていました。
 寛保2年(1742)8月、関東地方はかつてない荒天により主要河川は氾濫し甚大な被害を受けています。「寛保の大水害」といわれ、中条堤と利根川堤防も大きく破堤したようです。この水害による復興工事は幕府主導で諸大名に手伝わせる御手伝普請として同年11月より開始され、妻沼付近は長門岩国藩(吉川経永6万石)が担当しました。この復興工事は被害を受けた地元の老若男女の農民が人足として働き、賃銭を得て生活の糧とした救恤事業の一面がありました。
 この災害により、聖天堂の建築工事が一時中断したとされますが、岩国藩士との人的に交流の中から貴総門の設計協力が行われました。
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貴総門

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熊谷の「木遣り」と「塚」 [その他]

 建築工事の基礎工事として行われる「地形(じぎょう)」はかつての鳶職等の専門職人を中心に行なわれた。やぐらや足場を組み地固めに使われる「芯棒」を引っ張り上げ落とすことで地均しや地固めを集団作業で行うものであるが、機械化が進んだ今ほとんど見ることなくなった。この仕事歌として歌われたのが「木遣り」で、熊谷の木遣りは市指定民俗文化財となっており、保存継承活動を続けている木遣保存会では60種類ほどの曲目が伝承されているそうです。現在でも、「出初式」や「うちわ祭り」で歌われています。
 写真は成田地区と奈良・大幡地区に建てられた「木遣塚」です。事業に使われた芯棒をモニュメントとした木遣塚です。下部に縄掛用の突起が付けられています。熊谷市内にはこのような「木遣塚」が高城神社をはじめ5箇所余り建てられており、主要な仕事であったことを伝えています。
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成田地区に建てられた「木遣塚」 奈良・大幡地区に建てられた「木遣塚」

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水塚と堤防-1 [その他]

 利根川・荒川は市域にとって生みの母とも云えますが、時には大洪水を引き起こす手ごわい存在です。直実の時代からは洪水や被災した伝説が数多く残り、荒川には戦国時代に築かれた北条堤から明治期の萬平堤まで何度も築堤や修築が行われています。
 利根川ではより広範囲に洪水被害を受けることから戦国時代に築かれた文禄堤から江戸時代の寛保大洪水後の幕府直轄で行われた修堤工事、中条堤の増強工事などが大規模に行われています。
 水塚は小地域や個人宅に造られた洪水除けの施設です。重要な建物を流失させないためや、平地での避難先として盛り上げた建物基壇や丘がこれに当たります。市域には所々に遺されており、土木遺産として独特の景観をしています。
 なお、利根川流域を対象として調査された「『埼葛・北埼玉の水塚』東部地区文化財担当者会報告書第7集2013」は大変参考になります。
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水塚に乗る神社-上須戸 直径約30m、高さ約3m

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中条堤-上中条から日向付近
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荻野吟子旧居跡-(墨田区向島1丁目8番地) [その他]

 江戸東京博物館には、「最新出土品展」など見学するため、両国駅を利用して度々訪れます。ホームで時間待ちをしていたとき街路案内板にある「荻野吟子旧居跡(荻野医院跡)」の文字に気づきました。荻野吟子は熊谷市妻沼出身の公許女医第1号として知られ、埼玉県妻沼、北海道瀬棚・今金、そして東京に足跡を残しています。ここ本所区新町小梅町(当時)は吟子が北海道から戻り医院を開いた場所で終焉の地となったところです。現在、その場所は北十間川に係る源森橋を渡った交差点付近になります。最寄駅は浅草寺、東京スカイツリー駅が良いでしょう。両国駅からは散歩気分でどうぞ。思いがけず吟子終焉の地に巡り合った日でした。
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総武線両国駅ホームの案内板

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案内板拡大

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旧居跡にある説明板-東側の歩道に建つ
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縄文ZINE8 配布中 [その他]

 都会の縄文人のためのマガジン『縄文ZINE8』を、江南文化財センターで配布中です。
 今回の特集は、恋する縄文、女子目線の記事満載です。ちょうど、東京国立博物館で特別展『縄文』開催中の折、ご興味ある方は、残部10部ほどですがお分けしていますので、江南文化財センターまでお越しください。
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熊谷市立江南文化財センター
熊谷市千代329番地
電話 048-536-5062

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イノシシに遭遇したら [その他]

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 熊谷市の北側にある太田市の市報にイノシシと遭遇した時の対処法が書かれていました。熊谷においても江南地域でのイノシシの目撃情報が時折あります。居合わせた時も、普通はイノシシのほうから逃げるそうですので慌てる必要がないそうです。反面、イノシシに対して攻撃や威嚇すると逆上したイノシシが突進してくることがあるとのことです。
 なお、江南地域ではイノシシの捕獲と関係する遺跡があります。縄文時代後期の遺跡である新山遺跡(小江川)ではトラップピットと呼ばれる横幅約0.5~1メートル、長さ1.5~3メートル、深さ約1メートルの穴が確認されており、これはイノシシなどの猛獣類を捕獲するための罠であったと考えられています。この時代から人間とイノシシとの関わり合いがあったことが推測でき、当時は食として、祭祀用として様々な用途が考えられていたようです。
 なお、太田市報の中に接近してきたイノシシに対する興味深い対処法が紹介されています。安全な場所に塀や車の陰などに緊急避難するほか、「突進してきたらタイミングを合わせてジャンプしてください」と書かれています。タイミングを合わせてジャンプとはさすが最後の緊急的な対処ですが、熊谷の江南地域や大里地域など、身近な場所にイノシシがいることも忘れないようにしたいものです。



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平成30年度第1回熊谷市文化財保護審議会 [その他]

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 5月29日、熊谷市立江南文化財センター講座室にて、平成30年度第1回熊谷市文化財保護審議会が開催されました。本年4月から2年間の任期となり、再任委員(調査委員)を含めた新体制として委員委嘱が行われ、菅谷浩之会長が再任されたほか、飯塚好副会長が委員より選出されました。また古文書・中世文学を専門とする黛千羽鶴委員が新任委員として委嘱されました。会議では平成29年度の事業報告並びに平成30年度の事業計画、そして指定文化財調査に向けた諮問について協議を行いました。新年度における指定文化財の保護及び調査、文化財保護行政の円滑な推進に向けて審議会からのご教示とご協力をお願いしました。



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平成29年度第2回熊谷市文化財保護審議会の開催 [その他]


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野原晃教育長によるあいさつ

 平成29年度第2回熊谷市文化財保護審議会を江南文化財センターにおいて開催しました。本市文化財保護審議会は10名の委員兼専門調査委員によって構成され、熊谷市の文化財保護行政に関わる協議事項や、指定文化財の答申などを審議しました。また幡羅官衙遺跡群の国史跡指定や歓喜院聖天堂の美装化事業の進捗などについて報告したほか、予定されている文化財保護法の改正による今後の展望などについて情報共有しました。本市の審議会委員を長年にわたり務められた清水信二副会長は今回の会議で退任となりました。専門の絵画分野について今後もご教示を頂く予定です。



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