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埼玉県立熊谷図書館 資料展「図書館資料と写真で巡る熊谷宿」 [近世]

 埼玉県立熊谷図書館にて資料展「図書館資料と写真で巡る熊谷宿」を開催しています。熊谷市教育委員会で熊谷市誕生10周年記念で刊行した『熊谷市文化財ガイドブック』や、文化財センター職員が刊行した『熊谷ルネッサンス』も展示されています。どうぞご参照ください。


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会場の様子

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展示されている『熊谷市文化財ガイドブック』や『熊谷ルネッサンス』など



【開催概要】

開催期間 平成31年2月23日(土曜日)~平成31年5月12日(日曜日)(図書館休館日を除く)

開催場所 埼玉県立熊谷図書館 2階ロビー

展示内容(同館ホームページより)
 熊谷はかつて、江戸と京都を結ぶ中山道の宿場町のひとつとして多くの旅人たちで賑わいました。そして2019年、ラグビーワールドカップの開催により国内外から大勢の観光客が再び熊谷を訪れようとしています。
 時代と共に変化してきた熊谷に残る名所や旧跡をめぐり、街の魅力を再発見してみませんか。
 この展示では、平成30年11月25日に実施したイベント「ウィキペディアタウン in 熊谷」で巡った熊谷の名所を図書館資料と写真でご紹介します。

ウィキペディアタウンとは、街の名所や旧跡などを歩き、見聞きしたことをインターネット上の百科事典「ウィキペディア」に投稿し、世界中に街の魅力を発信するワークショップ形式のイベントです。


資料展「図書館資料と写真で巡る熊谷宿」案内 (PDF:1.1 MB)
https://www.lib.pref.saitama.jp/event/docs/tirasi_1.pdf

資料展「図書館資料と写真で巡る熊谷宿」資料リスト (PDF:253.6 KB)
https://www.lib.pref.saitama.jp/event/docs/kumagaijukulist_1.pdf





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塩の一本榎 [近世]

新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
本年、熊谷市ではラグビーワールドカップが開催されるなどビッグイベントが行われます。国際的な文化交流をはじめ、多くの皆様のご来場が見込まれています。また、多岐にわたる文化財保護事業も予定され、これらとともに文化財を活かした街づくりや、文化財を通じた熊谷らしさのPRに着目しながら、本ブログを通じて積極的な情報発信を進めてまいりたいと存じます。本年もご愛顧のほど、宜しくお願い致します。






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2018.年12月 冬晴れの一本榎といぼ地蔵
 樹齢300年余りと推定される榎の大木が天をつかむように聳えています。冬晴れの穏やかな日ですが、しばらくすると風が出てきて吹き抜ける風音としなる枝のざわめぎが、今年の災禍を語るかのようでした。
 昨秋撮影した写真と見比べると右側大枝の第1分岐の枝が折れていました(印)。今年の台風に吹き折れたようです。でも、枝はかたずけられ地蔵尊には供え物がありました。この古木や地蔵を気に掛ける多くの人の目と手があることに気付きます。塩古墳群を守る森と同様長生の樹木は緑の遺産だと思います。
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2017年12月 撮影

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2018年12月撮影  印 折れた枝の付け根
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浄安寺・千体地蔵「お地蔵様の日」 [近世]


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千体地蔵と本尊の地蔵菩薩坐像

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千体地蔵の収納箱

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東洋美術学校担当者をはじめとしたトークセッション

 平成25年の9月に竜巻被害を受け、その後、文化財レスキュー事業や東洋美術学校による調査・保存事業が進められた熊谷市御正新田の浄安寺「千体地蔵」(熊谷市指定有形文化財)の公開行事として、毎年恒例となった「お地蔵様の日」が10月23日に開催されました。現在、本尊のお地蔵様をはじめ約650体の千体地蔵は浄安寺本堂に安置され、東洋美術学校が製作した保存箱に収納されています。会場ではお地蔵様の顔を拝観しようと多くの来場者が訪れ、願い事を記した灯篭の絵が奉納されていました。合わせて、東洋美術学校の担当者をはじめ保存に関わる関係者によるトークセッションも催されました。また、当日は元来の地蔵堂があった位置に建立された新たなお堂に地蔵尊が安置される法要行事も行われました。




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「紵絲斗帳」の展示 [近世]

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「紵絲斗帳」(埼玉県立歴史と民俗の博物館)

 妻沼聖天山が所有する埼玉県指定文化財「紵絲斗帳(ちょしとちょう)」が埼玉県立歴史と民俗の博物館の常設展示で公開されています。「紵絲斗帳」は、銘文によると中国の嘉靖年間(1522~1566)に作られた織物で、二代目忍城主の成田長泰が奉納した品です。
 濃い藍色の布地に紅色で鳥や雲の模様を織ったものであり、時代を経て紅色は褐色に変化しましたが、味わい深い風合となっています。なお、荻生徂徠の『度量衡考(どりょうこうこう)』にも紹介されるなど、古くから多くの関心を集めていました。この表面の文様などを生かした布製品などが妻沼地域を中心に販売されています。現物を見る機会は少ないですので、博物館でどうぞご覧ください。


問合せ
埼玉県立歴史と民俗の博物館
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4-219
Tel: 048-645-8171
Fax:048-640-1964
E-mail m410890@pref.saitama.lg.jp



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《葛飾北斎巡礼の旅》スタートアップイベント [近世]

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会場で展示された北斎画をモチーフにした着物

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『知られざる北斎』の著者、ノンフィクションライターの神山典士さんの挨拶

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金原亭世之介師匠による新作落語「北斎」

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司会ナビゲーターを務めたすみだ北斎美術館の学「芸人」葛飾ふとめ・ぎょろめさん


 ノンフィクションライターの神山典士さんが発表した著書『知られざる北斎』の刊行と関連した一大イベント《葛飾北斎巡礼の旅》の幕開けに際して、スタートアップイベント・パーティーが墨田区の「すみだパークシティ」で開催されました。これは江戸から信州の小布施を巡って作品を残した葛飾北斎にちなんだイベントで、墨田区の山本亨区長の挨拶を皮切りに、司会ナビゲーターはすみだ北斎美術館の学「芸人」葛飾ふとめ・ぎょろめさんが務め、医師の石原藤樹氏による基調講演「人生100年時代 北斎に学ぶ」、金原亭世之介師匠による新作落語「北斎」などが行われました。その他に、関係市町である長野県小布施町、静岡県富士市、そして熊谷市の紹介とともに、北斎について情報共有する機会となりました。熊谷市の富岡清市長からもメッセージが寄せられました。

 江戸時代の主要街道であった中山道の宿場町である熊谷ですが、北斎もこの街道を通じて江戸から信州の小布施へと足を運び、熊谷宿に停泊し、熊谷の人々と交流を深めたのかも知れません。
 現在、新たなるジャポニスムとして世界各国から日本文化が注目を集めています。その原点となった19世紀の欧米における日本美術の流行に目を向けますと、そこで果たした北斎芸術の意義は大きく、欧米の画家たちに多くの影響を与えたことがわかります。
 また、このジャポニスムの中にあった後期印象派の画家に感銘を受け、研鑽を積んだ画家に熊谷出身の森田恒友がいます。彼の存在からは、北斎から西欧を経て熊谷へという美術史の系譜を振り返ることもできます。
 《葛飾北斎巡礼の旅》が地域活性化に向けたコンテンツの一つとなることを期待するところです。また来年においても主催者の北斎サミットジャパン委員会を中心にイベントが計画されています。



詳細は《北斎巡礼の旅》特設サイトをご覧ください。
https://www.hokusaijyunrei.com/





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「くまぴあ」の地域歴史講座「中山道の歴史と文化財」 [近世]


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 熊谷市スポーツ・文化村「くまぴあ」で、地域歴史講座として「中山道の歴史と文化財」を開講し、約20名の参加がありました。中山道と熊谷宿の歴史を中心に、東から西へ街道を歩くようにそれぞれの地域にある文化財や史跡について画像や動画を交えながら紹介しました。中山道を歩く中山道ウォーカーが増えている中、実際の現地を歩いてみたいという感想も上がっていました。





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曰くありそうな玉石 山王様の子宝石? 力石? [近世]

 広瀬の熊谷運動公園の南側に、国指定史跡「宮塚古墳」が所在しています。上円下方墳という座布団の上にお供え餅を置いたかのような形をしています。広瀬古墳群中の一古墳ですが今の季節は水田中に浮かぶ小島のようです。
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 広瀬古墳群は他にもいくつか古墳が残っていますが、古墳上に「山王社」を祀った円墳が近くにあります。子授け、安産祈願の信仰が篤く、奉納された多くの小絵馬が知られています。この塚のふもとに、鳥居の脇になりますが風格を感じさせる一抱えもある卵型の石がコロンとしています。荒川の転石だったのでしょうが、山王社の場所と合わせ産育にかかる依代など信仰に関係したものと思います。以前、中条でみたような「力石」であったかもしれません。見た限りでは刻銘などは無いようですが、100㎏近くありそうです。

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上面
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横面
山王社の修理碑 曰くありそうな「玉石」手帳の縦長約16㎝

参考:平井加余子1993「子授け、安産祈願」『熊谷の絵馬』立正大学北埼玉地域研究センター
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聖天山の力石 [近世]

 前回、本編で中条中島明神社の力石を取り上げましたが(6月8日掲載)、聖天山にも力石があるので紹介します。大師堂の傍らの茂みに2個のやや扁平な卵形石で並んで据え置かれています。それぞれ60cmから70cm近い大石で、片面に銘文が彫られています。右側は「三十八貫(約143㎏)」とあり、左側は「五ッノ内  四十二貫(約158㎏)   勝□□. コジマ 十平. 佐太郎. □□□. 玄太郎. 藤太郎. 庄蔵. 七蔵」と人名まで記されています。この石を持ち上げることのできた猛者である妻沼の小島地区の7名が奉納したと思われます。人名から明治期のものでしょう。聖天山には土俵があり、かつては奉納相撲も行われたようです。
 ※江戸時代の1貫は3.75kgに当たる。
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左34貫(127.5㎏)、右38貫(142.5㎏)
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力石 [近世]

 上中条の中島明神社の境内に一抱えもある卵形をした石が二個ほどあります(写真1)。半分ほど地中に埋もれているところを見ると長い間この状態のまま放置されているようです。普通の石ではなく何かいわくがありそうです。この石については聞き漏らしてしまったのではっきりしたことはわかりませんが、「力石」ではないかと考えています。同様な石が「あばれみこし」で知られた葛和田大杉神社境内にあります。この石(写真2の左側)には「天明八年戊申年 三四貫匁 今村氏」の銘が彫られており、石の重さや寄贈者か持ち上げられた者の姓が刻まれており、「力石」であることがわかります。
 力石を持ち上げることができれば一人前と認められたことや、神輿を担ぐため日々の鍛錬に利用したり、氏子たちの力自慢に使われていたことなどが語り継がれています。市域の力持ちは大勢いたと思いますので、このような「力石」は他にも残っているのではないかと思います。参考:高島愼助2007『埼玉の力石』岩田書院
 ※江戸時代の1貫は3.75kgに当たる。
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写真1 中島明神社の力石と思われる丸石(横幅約55㎝)、持ち上げられませんでした。

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写真2 葛和田大杉神社の力石。左34貫(127.5㎏)、中54貫(202.5㎏)、右38貫(142.5㎏)

上中条 中島明神社 [近世]

 中条古墳群の発掘調査現場から道路を挟んで隣り合う場所に社地があり、社殿が東向きに建っています。現在の社地を挟む道路は土地改良前までは西から東へ流れる小川で、西側には特に清らかな清泉が沸いており、水量も豊かだったそうです。
 祭神は「弁財天」を祀ってあり、本殿は妻沼聖天山の建築にかかわった匠が造ったそうです。かつてこの清泉は、江戸時代の奈良地内の豪農で社会貢献に努めた吉田市右衛門家が醸造した「奈良櫻」の仕込み水に使われたといいます。吉田家からは中島地区に清泉の管理の感謝とお礼に社殿と、その維持費に充てる数反の田んぼを寄贈してくれたと伝えられているそうです。なお、弁財天(女神)が地区の祭神なので、氏子の男子はみな美形なのだよと、笑顔で語っていただきました。このような貴重なお話も、現場を見学に来られた老婦人から伺ったものです。お嫁に来られたのは半世紀以前のことと伺いましたが、私も弁財天様に認知されたようで?、何とか現場を終え、貴重な資料を得ることができました。感謝申し上げます。
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中島明神の社、左右の道路は小川跡、調査区は社殿の背後

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社殿の扁額