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前中西遺跡出土石戈 [弥生時代]

今年の5月~7月にかけて実施した、上之区画整理事業に伴う前中西遺跡の発掘調査において弥生時代中期後半(約2,000年前)の竪穴住居跡より、ほぼ完形の石戈(せっか)が出土しました。
全長19cmで、石材は粘板岩です。
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「樋」と呼ばれる溝の中には「複合鋸歯文」が刻まれており、銅戈を忠実に模しています。
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石戈とは、弥生時代に中国や朝鮮半島から伝わった武器形青銅器の銅戈を模してつくられた日本独自の祭器のことです。石戈は、武器形青銅器が出土する西日本に多数の出土例があり、東日本では25点程出土していますが、「樋」に「複合鋸歯文」が描かれるのは近畿地方で見つかる銅戈の特徴で、石製としては、今回の前中西遺跡出土例が全国初となります。

この石戈は、速報展として下記の通り展示いたしますので、この機会にぜひご覧ください。
会 期:平成27年10月1日(木)~平成28年3月31日(木)
時 間:午前9:00~17:00
場 所:熊谷市立江南文化財センター展示室:熊谷市千代329番地
休館日:土・日・祝祭日・年末年始
     但し、10月4日(日)は、「くまぴあ」(熊谷市原島315番地)創作展示棟3階出土遺物展示室にて展示。10月25日(日)および11月14日(土)は、江南文化財センターにて展示。
お問い合わせ:熊谷市立江南文化財センター:048-536-5062

諏訪木遺跡出土「土偶形容器」 [弥生時代]

7月~8月に発掘調査を行っていた、市内上之地内に所在する諏訪木遺跡より、弥生時代中期後半の「土偶形容器」がほぼ完全な形で出土しました。
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この「土偶形容器」は、弥生時代中期後半の住居跡から出土したもので、これまで、諏訪木遺跡に隣接する前中西遺跡からも、土偶形容器は、破片での出土例はありましたが、ほぼ完全な形での出土は、県内では初めての例になります。壺形土器を元にして製作されたものと思われ、お腹の膨らんだ微笑ましい体形に見えます。胸の表現が無いことから、男性像と思われます。
器高18cm程の大きさで、頭頂部が開口し、中は中空となっています。頭頂部および底面に赤彩が認められます。大きな耳には、2箇所の穴が穿たれており、頭頂部および頬には縄文が施文されています。アゴの部分には剥落痕が認められ、髭またはアゴの表現がなされていたものと推測されます。頸部には横位の簾状文が施文され、両腕はお腹の前に置かれています。指の表現もあり、前腕部には3条の刻みが施されています。
耳の穴はピアス穴、首の頸部には横位の簾状文はネックレス、顔の縄文は刺青、前腕部の刻みは腕輪を表現しているものかもしれません。
耳飾りの風習は、縄文時代には確認されていますが、弥生時代にはほとんど見られなくなります。耳たぶの大きさの変化、あるいは狩猟文化から農耕文化へと移り変わる過程でのアニミズム(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂もしくは霊が宿っているという考え方)の変化など諸説あり定かではありません(参考:浜本隆志 『アクセサリーが消えた日本史』 光文社新書)。
この「土偶形容器」は、熊谷に居住した弥生人の様子が具体的にうかがえ、当地域の様相を研究・検討するうえで重要な資料となるものと思われます。

本資料は、平成26年9月29日(月)から、平成27年3月31日(火)まで、熊谷市立江南文化財センター(熊谷市千代329:048-536-5062:土曜日、日曜日、祝日、年末年始休館)展示室にて速報展示いたしますので、ぜひご覧ください。

礫床木棺墓模式図 [弥生時代]

昨年5月から7月にかけて発掘調査を実施した、前中西遺跡で発見された、弥生時代中期後半の礫床木棺墓の復元模式図を作成してみました。
発掘調査では、四角い土坑に小礫が敷かれている状態で確認され
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礫を取り除くと、土坑の底面に小口ピットと呼ばれる木棺の小口面を差し込んだと推測されているピットが2箇所確認されます。
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木棺はすでに腐食し残されていませんが、復元模式図で描くと↓のようになります。木棺を設置後、小礫を床面に敷き、遺体を安置したものと思われます。なお、上部構造については痕跡が確認できず、あくまでも想定です。

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管玉の穿孔2 [弥生時代]

前中西遺跡第1号礫床木棺墓No,8の緑色凝灰岩製管玉の実態顕微鏡写真です。
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見た目の観察では丸く見える管玉も、実態顕微鏡で見ると角がある場合があります。本資料の場合は、八角形状に角が認められます。これは、「施溝分割」と呼ばれる分割方法で四角柱状に原石を分割し、その後砥石で研いで丸くしているためで、四角形の角を研いで八角形にし、さらに丸くするために研いだのですが、見た目では角が無くなったので完成としたものと思われます。よく見ると、管玉の表面に斜めに擦った痕跡が認められます。
小口面の写真は、↓です。片面の穿孔径が大きく、
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片面の径が小さいことが観察できます。
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これは、回転運動によるブレで、挿入側の径が大きくなったためと推測されます。
小口面にも、よく見ると平行する細かい擦痕が観察され、小口面も研いで整えていることがわかります。
また本日、本ブログの総閲覧者が280,000人を超えました。今後ともよろしくお願いします。

栗林式土器甕 [弥生時代]

前中西遺跡第10調査区の溝跡から出土した弥生時代中期後葉の甕を紹介します。
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2月19日に紹介した、北島式土器の壺と共伴するものです。甕型を呈し、地紋に縄文を施文しています。外反する口縁部には、波状沈線を1条、胴部には重ね「コの字文」を4単位施文しています。コの字文の一番中には垂下する波状沈線を施文しています。また、「コの字文」の単位重複部及び、波状沈線垂下部にはボタン上の貼り付け文を貼付し、4~5つの刺突を加えています。
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この土器は、弥生時代中期後葉の長野地域に分布する栗林3式土器に比定されます。このタイプの土器は、胎土が黒色を呈するのが多いのが特徴で、搬入品と推測されます。胎土の黒色は、焼成時に黒色処理を行なったものか、粘土自体に黒色を呈する成分が含まれているのか、意識的に混ぜ物を加えているのかは不明です。焼成後、黒色を呈していることが、この土器の製作に際し重要であったようです。他の弥生土器が、茶褐色を呈する中、小さな破片でも特定できる特徴的な胎土です。

管玉の穿孔 [弥生時代]

前中西遺跡第3号礫床木棺墓出土のNo,86の緑色凝灰岩製管玉です。片側が欠損しており、現存長15.26mm、径2.54mm、重量0.14gをはかります。
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欠損部を観察すると 孔の中に段が観察できます。これは、管玉の穿孔を両側から行なった際の貫通部と思われます。貫通部は、管玉の破損部付近にあり、穿孔が片側から行なわれ、後少しで貫通と言うところで、方向を変えて穿孔を行なった結果の段と判断できます。当初は片方向からの貫通を試みましたが穿孔困難と判断し、穿孔方向を変えたものと思われます。
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破損が無ければ観察できなかったもので、「怪我の功名」でした。
ちなみに、弥生時代中期の管玉は穿孔には石針を用い、後期~古墳時代になると鉄針を用いて穿孔しています。石質にもよりますが、長い管玉は両側から、短い管玉は片側から穿孔する傾向が認められます。


管玉首飾り [弥生時代]

前中西遺跡礫床木棺墓出土管玉の、実態顕微鏡による個別撮影が終了したので、管玉をつなげてみました。
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緑色凝灰岩と赤玉石の管玉を、適当な配置でつなげてみました。第1号礫床木棺墓出土管玉は44点で総延長68.3cm、第3号礫床木棺墓出土管玉は117個で総延長137.3cmとなります。第3号礫床木棺墓出土管玉は、長いので2連にして、首から下げてみました。

玉髄 [弥生時代]

玉髄(Chalcedony)は、硬度6.5、比重2.55~2.63の非常に硬い石です。石英の微小結晶が網目状に集まり、極小の小孔を持つ緻密集合体で、結晶鉱物学的には石英です。肉眼観察では、半透明感のある乳白色を呈し、滑らかな光沢があります。この玉髄の中で、含まれる不純物により、赤・褐・褐黄・緑・黒色を呈しているものを碧玉(Jasper)と呼んでいます。
↓は、茨城県北富田採取の玉髄です。
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前中西遺跡礫床木棺簿出土の赤玉石製管玉も、実体顕微鏡で見ると、乳白色の石英が列点状に微量含まれていることが観察できます。
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玉髄は、旧石器時代の剥片石器、弥生時代から古墳時代の石針、管玉、勾玉等に用いられています。

北島式土器壺2 [弥生時代]

前中西遺跡の出土土器の紹介。今回2回目です。第11調査区の、方形周溝墓と思われる溝跡より出土しました。前回紹介した壺形土器よりも一回り小型で、器高18.5cm、口径7.4cm、底径6.0cmを測ります。
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文様は、頸部と胴部上部に、縄文を充填した上向きの鋸歯文を施文し、下部の段部に刺突列を施文しています。口縁部と胴部下半に帯縄文を施文し、胴部下半には2本単位の波状沈線が施文されています。
胴部に段があること、上向きの鋸歯文が施文されていることから、前回紹介した壺より1段階古い、弥生時代中期後葉北島式土器に比定されるものと思われます。


北島式土器壺 [弥生時代]

昨年発掘調査を実施した前中西遺跡の整理調査を進めていますが、その中から、実測・途トレース作業を行なった弥生時代中期後葉の北島式土器を紹介します。
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第10調査区の溝跡から出土した壺で、器高58cm、口径21cm、底径16cmを測ります。文様は、口縁部に1条、頸部から胴部にかけてヘラ描波状文で区画された帯縄文を4条施文しています。底部は、木葉痕が残り、焼成後穿孔が行われています。
胴上部に明確な段が無いこと、器面の無文化が進んでいることから、北島式土器に後続する段階に比定されるものと思われます。
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