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賢木岡東遺跡発掘調査 [縄文時代]

 先週より胄山地内で賢木岡東遺跡の発掘調査が始まりました。およそ一か月程度の現場で、事前の調査で縄文時代中期から後期、古墳時代後期の遺物、遺構が確認されています。DSCF6064.jpg
 この辺りは下に池があるV字の谷地形で、調査箇所はその上段に位置しています。DSCF6053.jpg
 周辺には甲山古墳があり、この古墳は直径約90mの規模です。円墳としては、埼玉県内ではさきたま古墳群の丸墓山古墳に次いで2位、全国でも4位に入る大きさです。
 地形的にも、古墳の存在からも今回の調査箇所は、集落の痕跡が疑われる場所です。今後の調査結果が楽しみな現場です。

凹石と敲石 [縄文時代]

市内千代地内の西原遺跡は、縄文時代中期の集落遺跡で、多量の土器や石器が出土しています。
今回紹介する石器は、凹石(くぼみいし)と敲石(たたきいし)です。
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↑の凹石は、長径14cm程の楕円礫を使用したもので、直径2.5cm、深さ1.5cm程で逆円錐状の凹みが、上面に2箇所、裏面に1箇所認められています。凹石の用途は定まっていませんが、粉砕するためにクルミ核を置いた台石との説が有力です。
立正大学文学部特任教授の久保田氏の指摘によると、この凹石の凹みの形状は、クルミの「先端」部を置いて粉砕したため、その形状がコピーされているとのことです。そのため、きれいな逆円錐ではなく、凹みの先端部が深く凹むアクセントがつくということです。
一方、台石に置いたクルミを割る敲石は、クルミ核の「成り口」部を敲くことから、敲石には「成り口」のゆるやかなカーブがコピーされるとのことです。↓がその敲き石です。以前紹介したように両側縁は打製石斧製作用に剥片を敲いたV字状の痕跡が確認されますが、平らな面には緩やかな凹みが2箇所確認されます。
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久保田氏によると、この両石器は、クルミ核粉砕用石器のセットをなすものということになります。
石器に残された凹みの形態の違いから、2つの別々の石器が一つのセットをなすという考え方は、石器の具体的な使用法を特定するこれまでにない新しい視点です。
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参考:久保田正寿 2014:「縄文時代のクルミ核破砕用石器の一類型」『万吉だより』第19号 立正大学博物館館報

チャート原石 [縄文時代]

市内千代地内の、縄文時代早期の集落遺跡である萩山遺跡から出土した、自然礫を紹介します。
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縄文時代早期の住居跡から1点、遺構外から2点出土しています。一見してわかるように普通の川原石です。
チャートと呼ばれる岩石で、荒川河川敷では、砂岩に次いで良く見ることのできるものです。
出土した遺跡は台地上に位置し、通常なら川原石は存在しません。縄文人が河原からある目的で運んできたものです。
大きさは、それぞれ、最大長10.5㎝×最大幅6.3㎝×最大厚4.8㎝、粒径6.8cmと、最大長6.7㎝×最大幅6.2㎝×最大厚4.5㎝、粒径5.7cmと、最大長8.0㎝×最大幅6.5㎝×最大厚5.0㎝、粒径6.4㎝を測ります。拳大の大きさで、荒川中流域で採取可能な一般的なチャートの大きさです。
遺跡内では、石鏃未製品や、石鏃を作成した際に発生した剥片・チップと呼ばれるチャートの小破片が多く出土していることから、この原石は、遺跡内で石鏃を作製するために、当時の人が荒川川原で採取し、遺跡内に持ち込んだものと考えられます。
普通の石ですが、遺跡から出土すれば遺物となります。
*粒径=最大長×最大幅×最大厚の3乗根。ちなみに、エクセルでの3乗根の計算式は=■^(1/3)になります。^はハット。■には3乗根したい数字を入れます。

石錘 [縄文時代]

縄文時代早期の集落跡である市内萩山遺跡から出土した「石錘(せきすい)」を紹介します。
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長さ5cm程の、楕円形を呈する自然礫の短軸方向の両端を抉るように打ち欠いた石器です。「石錘」と呼ばれる石器で、漁労用の網の重りとして使用されていたと考えられています。
本例は、縄文時代早期撚糸文期の第23号住居跡より出土しており、荒川中流域では最も古い「石錘」となります。縄文時代早期より、荒川で漁労活動が行われていた可能性を示すものと考えられます。
河川における漁労用の重りは、海岸域に近づくほど土器片錘の利用比率が増し、遠ざかるほど石水の比率が増すことが指摘されています。荒川中流域では、これまでの調査例では土錘の出土例はありません。これは、水流の速さと河床環境に対応した道具の素材の選択があったためと推測されています。
ちなみに現在の荒川中流域の環境は、川幅20~50m、夏季で水温は18°~26°C、水深40~70cm、淵は2.5mとなっています。この水域に生息する魚類の科別比率は、コイ科58%、サケ科・ギギ科・ハゼ科・ドジョウ科が各6.5%、アユ科・ウナギ科・ナマズ科・カジカ科・マダカ科が3.2%となっており、コイ科優位、ウグイ・オイカワ科主体の魚相となっています。
また、1958年ころまでは、秩父付近までアユが遡上し生息していたことが確認されています。
当時の人々が、どのような魚を採っていたのか、興味のあるところです。

土製円盤2 [縄文時代]

縄文時代早期の集落遺跡である市内千代地内に位置する萩山遺跡。
前回は、「土製円盤」を紹介しましたが、今回は、「土製円盤?」と思われる遺物を紹介します。
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3.2cm×2.7cm程の楕円形を呈し、土器片の周囲全面を研磨していることから当初土製円盤と判断しましたが、よく観察すると、両側縁に、棒状工具で3㎜程の幅で擦り窪めた、円周の1/3程の括れがあることに気づきました。
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両側に紐を括り付けたかのように括れを持つこの製品ですが、類例として思い浮かぶのは、漁労用の網の重りとして括りつけた土器片錘です。
しかし、縄文時代を通して、本遺跡の属する荒川中流域では、水流および河床の関係で、土器片錘ではなく石錘が用いられており、大きさ・重さから判断しても土錘として利用されたものとは判断できません。
では、用途はというと、やはり現時点では不明と言わざるを得ないところです。

土製円盤 [縄文時代]

縄文時代早期の集落遺跡である市内千代地内の萩山遺跡から出土している、「土製円盤」を紹介します。
この「土製円盤」は、縄文時代早期から晩期にかけての遺跡から出土する遺物です。土器片を円形に、周囲を打ち欠いただけのもの(写真左)、一部分だけ擦っているもの(写真中央)、全周を擦っているもの(写真右)があります。
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数多く出土していますが、用途不明の遺物です。竹筒の蓋説、計算道具説、おはじき説、祭祀道具説、骨角器や土器の整形具、はずみ車説など様々な推定がされています。円形としての形が必要とされものか、全周を擦ったものが完成品と判断するのかで用途の推定は異なってきます。
傾向としては、全周を擦っているものが比較小さいことが指摘されており、当初打ち欠いたものから、擦って使用し続けたことにより小型化し、最終形態として擦ることが困難となり廃棄されたと理解すれば、円形に擦ることが目的ではなく、使用の結果として円形に研磨され、使用不能として廃棄されたことになります。
萩山遺跡では、107点の「土製円盤」が出土していますが、珍しいものとして、貫通しない穴が片面。または両面より穿孔されているものが5点認められます。貫通したものは出土していないことから、未製品ともちょっと考えられません。単純な形ですが、用途の特定が難しい遺物です。
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ミミズク形土偶360°画像 [縄文時代]

箱田氏館跡で出土した、縄文時代後期のミミズク形土偶を、デジタルカメラで撮影し、Web上で360°回転する画像が出来上がりました。
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3DSOM Pro viewerというプラグインソフトを組み込んだHTMLファイル形式で作成しましたので、特別なソフトを入れることなく閲覧できます。
ホームページ熊谷デジタルミュージアム>特別展示室>文化財に触ってみよう>ミミズク形土偶>、またはこちらより、直接ご覧いただけます。

称名寺式土器展開写真2 [縄文時代]

萩山遺跡出土の、縄文時代後期称名寺式土器の展開写真2回目。
今回も、回転台の上に乗せ、16分割して回転させて写真を撮影し、中心部を切り抜いて合成しました。
口縁部に大きな突起と小突起が付き、そこから胴部に連鎖状の隆帯を垂下させて、胴部を縦位に2分割しています。文様は、2本沈線間に列点文を充填させて、J字状のモチーフを4単位描いています。胴部下半が欠損していますが、器形的には再度膨らみ、胴部上半部に対応するような文様が描かれていたと推測されます。
時期的には、沈線+列点で文様を描出していること、文様モチーフに崩れが認められないことから、4段階に分けて3段階目に比定されると思われます。
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ちなみに、称名寺式土器は、深鉢形を基本として、他の浅鉢・注口等の形式が極端に少ない土器様式です。
また一昨日、本ブログの総閲覧者数が250,000人を超えました。今後ともよろしくお願いします。

土偶3D実測 [縄文時代]

箱田氏館跡で出土した、縄文時代後期のミミズク形土偶の3D計測を行なっています。
非接触型3Dスキャナを用いて、Web上で閲覧可能な、360°回転する3D画像を作成しています。
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3D画像の試作版(PDF:2.8Mb)をこちらからご覧ください。取得した3Dデータを、4回ほどデータ変換してプラグインソフトを入れてPDF形式にしたもので、画像をマウスで拡大縮小・360°回転させて見ることができるようにしました。

井草Ⅰ式土器 [縄文時代]

萩山遺跡出土の、縄文時代早期の井草Ⅰ式土器を紹介します。
口唇部が肥厚外反し、胴部文様は不明ですが、口唇部・口縁部文様帯を持つ典型的な井草Ⅰ式土器です。
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口唇部には同一原体と思われるLR縄文を2段施文し、施文が重なる個所にやや細い原体LRによる押圧縄文を施文しています。口縁部は、LR縄文を横位に施文しています。胴部は欠損していますが、従位の縄文が施文されるものと推測されます。
↓口唇部の接写です。赤い矢印個所に押圧縄文が施文されています。
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埼玉県北部地域では、井草式の資料が少なく、実態が不明でしたが、縄文施文が卓越する千葉県~栃木県にかけての東関東と同様の傾向があることがうかがえます。
この時期、荒川を挟んだ対岸の深谷市宮林遺跡や、山地寄りの秩父市橋立岩陰遺跡では、前段階の表裏縄文の影響が残るようです。
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