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鹿児島寿蔵熊谷草歌碑建立除幕式 [句碑・歌碑]


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建立された鹿児島寿蔵熊谷草歌碑

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歌碑と寿像、熊谷草保存活動について記した解説板を併せて設置した

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序幕の様子


 2019年3月30日、熊谷市名勝「星溪園」にて、新たに建立された鹿児島寿蔵熊谷草歌碑の除幕式が開催されました。鹿児島寿蔵の歌碑には、「熊谷草なくてかなはじと星池に植ゑて福ぶくしき花を咲かしむ」という寿蔵が詠んだ歌が刻まれています(刻字は一部異なる)。歌意は「熊谷草がなくてはならないと星溪園に熊谷草を植えてふくよかな花を咲かせている」です。

 「熊谷草(クマガイソウ)」は、その花の形が、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である熊谷次郎直実が矢などを防ぐために馬上で背負っていた「母衣(ほろ)」の形に似ていることから名付けられました。昭和時代後半、熊谷地域では自然植生はなく、苗の移植による栽培などが主流でした。

 熊谷地域での熊谷草の保存は、1970年代後半から地元の愛好団体を中心に続けられ、1979年に熊谷草保存会を結成。熊谷の各地に株を植栽し、花を咲かせる活動が進められてきました。

 熊谷での熊谷草の保存活動が進められる中、東京の自宅が焼失し、戦中・戦後、熊谷に疎開していたアララギ派の歌人で人形作家の人間国宝・鹿児島寿蔵(1898~1982年)が、歌人の棚澤慶治らの働きかけにより、1980年5月に熊谷市名勝「星溪園」や江南地域など熊谷草の生息地を訪れています。その際、寿蔵は地元での保存活動に想いを寄せて、冒頭の短歌を残しました。この歌は保存活動の励みになったといわれています。

 20世紀終盤、熊谷草保存会は星溪園や市内各地などへの植栽を続けたましたが、熊谷草の継続的な保存には困難を極め、2014年に熊谷草保存会は解散しました。こうした経緯を踏まえ、熊谷草の保存活動を顕彰するため、この地に鹿児島寿蔵の直筆揮毫の歌碑建立に至ったものです。

 熊谷短歌会会長・熊谷文化連合会長の金子貞雄氏を中心に、藤間憲一氏(熊谷商工会議所会頭)、野原晃氏(熊谷市教育員会教育長)、八木橋宏貴氏(株式会社八木橋代表取締役社長)らが呼び掛け人として名を連ねました。事務局幹事は金子氏のほか、小川美穂子氏、米山実氏らがが担当しました。

 平成30年11月~平成31年2月に寄附募集を行い、市内外から建立想定額(60万円)を超える寄付が集まり、解説板や報告書費用などに充当するほか、今後は鹿児島寿蔵の顕彰、熊谷草保存のための調査研究のための基金として使用する予定です。

 星溪園には埼玉県下で最古級の芭蕉句碑(後の時代の人が建立した顕彰碑)や、俳人の山口青邨(やまぐちせいそん)、元熊谷市長の斎藤紫石(さいとうしせき)の句碑があります。また、鹿児島寿蔵の歌碑は熊谷市上之の龍淵寺にも建立されています。併せて総合的な啓発を行い、歌碑めぐりなどを計画する予定です。教育委員会としても、星溪園における歌碑を通じて、鹿児島寿蔵や棚澤慶治などの歌人と地域との関わりや、熊谷草についての情報発信や顕彰を市民協働として進めていきたいと考えています。







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