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寺内廃寺の塑像 -番外編 熊谷の邪鬼 [奈良平安時代]

 間もなく2月3日の節分を迎えますが、市内の各家庭でも社寺でも節分会が行われることでしょう。前回寺内廃寺の塑像から邪鬼の姿を想像したのですが、遺存部が少なく全体像を想定することはまだ難しいようです。ただ、参考として市内の寺院で邪鬼を見ることができるので紹介しておきます。
 妻沼聖天山の貴総門の左右には巨大な多聞天像と持国天像が並び立ち、その足元にはそれぞれ1体の邪鬼が踏み敷かれています。おどけたような身振りと表情をしていますがなぜか哀愁も漂うその造形に強い印象が残ります。両像は平成29年3月に修復されています。
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貴総門 左右に天王像が配される。
北(右)側の持国天像高さ約3.1m →

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多聞天像邪鬼―南(左)側 持国天像邪鬼―北(右)側

 邪鬼について、詩人の水尾比呂志は邪鬼について次のように表現しています。
「信仰篤かった時代に生きた人たちは、仏を礼拝して低く垂れた頭の眼前に、この醜悪な肉塊を見出しては、仏国土にふさわしからぬ異端者とまゆをひそめたかもしれぬ。あるいは因果応報を眼前に見る心地で、あるいは邪悪の戒めの端的な例証として、また仏法を守る強力な護法神の力の証明としてこの憐れむべき態たらくを肯うたことだろう。誰にも愛されず、だれにも認められず、威丈高な四天王の重圧の下に、踏みつけられ押し潰され、蹴飛ばされこき使われ、嘲られ罵られ辱められ、歯牙にもかけられず見捨てられ、指さし笑いの的にされる。邪鬼はまこと悲しい宿命の生き物であった。 だが、今日私たちは、この疎外された無用者に、なぜか心を惹かれる。日陰者に光を当てようとする。浄土の異端者に親しさを覚えるのである。」―水尾比呂志 1967『邪鬼の性』 淡交社―
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