So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

秋山寿蔵碑(秋山忠右衛門碑) [近世]

市内広瀬の浅間神社境内に建てられている秋山寿蔵碑(秋山忠右衛門碑)を紹介します。
RIMG2788burogu.jpg
本碑は、文久元年(1861)秋山忠右衛門71歳の時に門人により建立された顕彰碑です。
撰文:寺門静軒(1796-1868)、書:長岡雪城(1808-1866)。

秋山忠右衛門(1792-1882):教育者。広瀬郷に生まれ、熊谷の寺小屋「玄染堂」にて学を修め、27歳の時に広瀬郷の名主となる。以後36年間地方自治に尽くし、その功績により年寄役を仰付けられ、苗字帯刀を許される。私塾を開き、門人360余名を数える。
長岡雪城(中沢 雪城):幕末の三筆の一人巻菱湖(1777-1843)の高弟で、菱湖四天王の一人。雪城の門下から巌谷一六(1834-1905)・西川春洞(1847-1915)・金井金洞(1833-1907)の大家が輩出する。

久下村合併記念碑 [その他]

市内久下の久下神社境内に建てられている「久下村合併記念碑」を紹介します。
本碑は、昭和16年(1941)4月10日に、大字久下字荊原が北足立郡吹上町に、それ以外の地域は熊谷市に編入され消滅したことを記念して建てられたものです。高198.7cm、幅102.5cm。
kuge.jpg
久下村は、明治22年(1889)4月1日に町村制施行に伴い、新川村・久下村が合併し成立しました。
碑文には「村会は4月1日を期し本村の大部分を熊谷市へ一部荊原を地理的に且日常の交際を考慮して北足立郡吹上町へ分割編入を議決同年4月10日其筋の許可を得て発展的解散を遂げたり茲の其概要を刻して後日の記念とす」と刻まれています。
撰:黒澤定四郎 書:東海 舞原諶一

黒澤定四郎:久下村長
舞原諶一::(1883-1953) 秦村(現熊谷市)出身。奥原晴湖門人。舞原家は画家3代続いた家で、祖父耕雲は寺門静軒(1796-1868)に師事、書を中村雪城、画を山崎薫■に学ぶ。父松潭は、画を耕雲、書を巷菱潭に学び、奥原静湖と親交を結ぶ。諶一は、幼少より奥原静湖の教えを受け晴雲と号したが、静湖が晩年になって「東海」の号に飽きたといわれるのを聞き、許しを得て舞原東海と改める。その後東海は、実業界に入り、熊谷製糸の常務取締役、秦村村長、信用組合長等の要職に就き、余暇を書画の道に親しんだ。

きかは便便95 [きかは便郵]

昔の熊谷地域の絵葉書紹介95回目。今回は「吉田市右衛門宗敏」です。
itiemon1.jpg
下に「吉田市右衛門宗敏」と思われる脇差を差した男性が、「丸に三つ星」の家紋の付いた羽織を着て描かれています。上部には「奉公竭力納 衆務施積而 克欲聖賢是 師 乙巳中元前二日 五山桐樵題」と記されています。読み下すと「公に奉じ、力を竭し、衆務を納め、積を施して欲に克ち、聖賢、是師なり」となります。「竭」はつくす、「衆務」は多くの仕事、「克」は欲を努力して押える、「聖賢」は知徳の最もすぐれた人の意です。右下には「静知斎洞薫謹書」と記されています。
写真は金色で縁取りされており、右側には「贈正五位吉田市右衛門宗敏之像」、下には「大正七年十一月」と印字されています。
「五山桐樵」「静知斎洞薫」がどのような人物かは不明です。
明治38年に描かれた軸物を写した写真で、現物は現在所在不明です。

吉田家は市内下奈良で代々「市右衛門」を名乗り、初代から宗以(1703-1792)-宗敬(1739-1813)-宗敏(1783-1844)-宗親(1816-1868)-宗載(1845-1906)と五代にわたり、社会事業家・慈善事業家として、私財を投げ打って物資などを援助し、近隣の村々などから多くの尊敬を集めました。
2代宗敬は、村内や近村にかかる橋を石橋に架け替えたり、浅間山の噴火の時に被害者に援助物資を送りました。3代宗敏は、用水や河川の改修のためのお金を上納したり、備前掘用水の大改修を行ったり、飢饉への援助を行いました。5代宗載は、凶作の時の食糧援助や教育施設への寄付などを行いました。

縄文ZINE4 [普及事業]

フリーペーパーの『縄文ZINE』4(最新号)を熊谷市立江南文化財センターにて配布しています。
joumonjin4.jpg
このフリーペーパーは、縄文ZINEホームページによると、「縄文時代をテーマにした、いままでに無かったフリーペーパーです。日本人なら誰もが知っていて、それでいて誰もよく知らないという特異な時代。文字もお金も無く確かなことがなにも言えない時代、縄文時代。でも、よくよく縄文時代を観察してみると、すごく遠く離れた時代のように見えても実は私たちと考えていることって、そんなに変わらないかもしれません。」というコンセプトで作成されています。
第4号は、特集「アイヌに会いに」、其の外「もし僕らが縄文人だったとして」「立話、最近の縄文人」「試される大地と縄文人。踊り疲れて朝日を待つ。」「都会の縄文人」ほかとなっています。
30部限定となっていますので、お早めに!

宮下遺跡発掘調査17 [発掘調査]

市内千代地区で行われている宮下遺跡の発掘調査の紹介17回目です。
調査の終了した東側から工事が始まっています。
RIMG2716.jpg
今回の調査区内では初めての縄文時代の遺構が確認されています。
炉穴(ファイヤーピット)と呼ばれる屋外の炉(調理施設)で、3基程確認されています。
RIMG2711.jpg
楕円形に地面を掘り込み、手前側に座り、奥の窪みで火を焚き土器を掛けて調理する施設と考えられています。縄文時代早期に特徴的な遺構です。
↓は覆土中より出土している土器です。残念ながら裏面となっておりますが、早期の土器片と推測されます。この遺構の周囲からは、縄文時代早期条痕文系土器が出土していることから、早期後半の土器の可能性があります。
RIMG2712.jpg

また昨日、本ブログの総閲覧者数が680,000人を超えました。今後ともよろしくお願いします。

別府村合併之碑 [その他]

市内西別府のJA熊谷別府支店の敷地内に建てられている「別府村合併之碑」を紹介します。
本碑は、別府村が昭和29年(1954)11月3日に奈良村、三尻村とともに熊谷市へ編入され消滅消滅したことを記念して同年月日に建てられたものです。高197.0cm、幅138.0cm。
beppu.jpg
別府村は、明治22年(1889)4月1日に町村制施行に伴い、西別府村・東別府村・下増田村が合併し成立したものです。
碑文には「今日よりは熊谷市民として郷土別府地区の発展を通して大熊谷建設のため相共に精進を誓うものである」と刻まれています。

篆額:埼玉県知事大澤雄一、譔文:熊谷市長鴨田宗一、書:日本書道院鑑査員笠原草風。 

棚澤慶治歌碑 [その他]

市内上之地内の上之村神社境内に建てられている棚澤慶治歌碑を紹介します。
RIMG2725.jpg
「産土の 宮の上棟 祝ふとき 棹となり津つ 白鷺渡る 慶治」と刻まれています。
昭和56年4月に棚澤慶治歌碑建立委員会・ときわ会により建てられたものです。

棚澤慶治(1898-1996):歌人・熊谷市議会議員。大正5年俳誌ホトトギス作句発表後短歌に転じ、アララギに作歌を発表し土屋文明(1890-1990:歌人・国文学者)に師事する。昭和20年、鹿児島寿蔵(1898-1982:アララギ派歌人・紙塑人形の人間国宝)の市内疎開を契機に「新泉」同人となり、後に「潮汐」に合流する。昭和29年ときわ新聞編集発行人となり、昭和40年歌集「土のにほい」、「わが文学と生活」を出版。熊谷で客死した万葉歌人安藤野雁(1815-1867)を慕い、荒川土手に歌碑の建設を行う。昭和25年熊谷市文化功労者、昭和54年埼玉県第1回文化ともしび賞受賞。

前中西遺跡2発掘調査 [発掘調査]

今年度、前中西遺跡内では2か所目の個人住宅建設予定地での発掘調査が、9月から始まっています。
しかし、今月の不安定な天候が災いし、今日までに、わずか4日しか作業が行えていない状況になっています。
今日も、昨日の台風による影響で、調査区が完全に水没し、作業ができなくなってしまいました。
困ったものです。しかし、自然にはかてません。ここで、かつて住んでいた昔の人たちも、さぞや悩ましい日々を過ごしていたのではないかと、思いを馳せてしまいます。

ちなみに、現在分かっている調査区内の遺構の状況は、溝跡4条、土坑8基、掘立柱建物跡4棟、竪穴状遺構2基、河川跡と考えられる箇所1か所などです。出土している遺物は、弥生時代や古墳時代の土器などです。
河川跡が、調査区の半分以上を占めているようです。


IMG_2829.JPG
調査区水没状況

宮下遺跡発掘調査16 [発掘調査]

千代地内で行われている宮下遺跡の発掘調査の紹介16回目です。
ここのところの天候不順で、調査区内西側の埋没谷は湧水により池のような状態になっています。
RIMG2701.jpg
調査は、水の影響のない地点の調査を進めています。
羽口の出土していた平安時代の竪穴建物跡の床面付近から、赤く被熱した鍛冶炉の底部の使用面が確認されています。この鍛冶
炉の脇には、ピットが確認されており、底部から鉄滓が出土しています。廃棄時期が炉跡と同時期であると判断されます。
RIMG2705.jpg
↓がその近接です。でこぼに窪む地面が、被熱により赤化しています。炉壁は取り壊されており、鍛冶炉の燃焼面と推測される痕跡のみの確認です。
RIMG2706.jpg

シリコン型取り(4/4) [動画]

諏訪木遺跡出土の弥生時代の土偶形容器1/3モデルのシリコンによる型取り方法を、タイムラプス(Time-lapse )で紹介します。
注入したシリコンが固まったら、型枠をはずして中の注形シリコンを取り出して終了です。

前の10件 | -