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浄安寺「お地蔵様の日」 [仏像]

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「お地蔵様の日」が開催された浄安寺の本堂

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千体地蔵を収蔵したケースが並び、それぞれの特色ある仏様と対面することができた。


 平成29年10月23日、熊谷市御正新田にある浄安寺の「お地蔵様の日」が開催され、熊谷市指定有形文化財「千体地蔵」が公開されました。
 平成25年9月の竜巻で全壊した地蔵堂から文化財レスキューが実施された「千体地蔵」は、その後、熊谷市教育委員会と東洋美術学校の調査と保存事業を経て昨年10月に一般公開されました。そして昨年に引き続き、本年も開催されました。
 多くの参拝者が来場され、準備された灯篭の各面に張る用紙に祈願文やお地蔵様の絵を描き、日が暮れた後に点灯しました。


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「愛染明王」一般公開と愛染堂サポーター養成講座 [仏像]

 平成29年10月21日、熊谷市下川上の愛染堂・愛染明王を一般公開しました。公開中は熊谷市指定有形民俗文化財「愛染明王」及び「藍染絵馬」について解説しました。今回は特別に愛染堂が所有する「阿弥陀如来坐像」と「不動明王立像」を合わせて特別公開しました。一般的に愛染堂は「宝乗院愛染堂と呼ばれ、この寺号の前に示される「宝乗院」とは明治時代まで当地に存在していた寺院本堂のことです。現在はその境内にあった愛染堂だけが残されています。宝乗院の本尊は阿弥陀如来であったと伝わり、上記の像との関連が推定されます。特別公開した2像は厨子(ずし)に入っており、愛染明王と比べると小柄の像となっています。
 愛染堂に隣接する場所では「星宮コスモス祭り」が開催されており、祭りへの来場者が愛染堂にも足を運んでくれたようです。今回の公開に合わせて、星宮公民館の「風船カズラ」の種を配布しました。風船カズラの種にはハートマークのような模様があり、愛染の愛との関わりからも面白味のあるプレゼントとなりました。

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愛染明王と、その前に安置された「阿弥陀如来坐像」と「不動明王立像」


 同10月23日には「愛染堂サポーター養成講座」が星宮公民館で開催され、愛染堂と愛染明王についての概要を地元の方々や関心を持っている方々の約20人に対してアウトリーチを行いました。今後、愛染堂を訪れる方々へのガイドが可能となるように、星宮地域の歴史をはじめ、愛染明王の仏像としての技巧や染色業者からの信仰の歴史、愛染堂の保存修理事業の内容などについてお話しし、その後、実際に愛染堂において仏像や奉納絵馬などを目にしながら解説を行いました。養成講座を受講された皆さんが、星宮地区や愛染明王に関心を持ちながら、今後の保存活用に向けてのキーパーソンとしてご協力いただければ幸いと考えているところです。

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「愛染堂サポーター養成講座」の様子





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実盛坂 もう一つの「長井荘」 [その他]

 妻沼聖天山の開基、斎藤実盛が、武蔵国内に最初に拠点を置いた場所は、熊谷市妻沼とされ、「長井荘」と呼ばれた荘園の別当(長官)に就いていました。現在の東京都文京区湯島から池之端一帯も「長井荘」の遺蹟とされ、実盛にちなんだ「実盛坂」実盛墓などの伝承が伝えられています。湯島天神社の参道に接し、本郷台地縁辺の坂になります。この地も熊谷・妻沼と同様、長井氏の関わる地域であったようです。
 妻沼の地と湯島の地を結ぶことができるとしたら、かつての利根川の流路を利用した河川交通の可能性があるでしょう。当時の河口近くにあった湯島の地と妻沼の地を結ぶ外水(海上交通)と内水(河川交通)のハブ(市・宿なども含む積み替え港)輸送の拠点に斎藤氏もかかわっていたのかもしれません。
 妻沼周辺に特徴的な善光寺型の板碑(現在は歓喜院前に建つ大我井板碑など)と同型の板碑が浅草で見つかっています。斎藤実盛の活躍した時期より後出のものですが、石材は緑泥石片岩で荒川流域から運ばれています。斎藤氏らと宗教観を同じくする集団が造立に関係していたのではないかと想像しています。
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本郷台地を下る急坂 坂下はかつて奥東京湾、荒川・利根川の河口が広がっていた。
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文京区「実盛坂」の説明板
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埼玉県指定有形文化財(考古資料)「板石塔婆(善光寺式三尊像)」
善光寺式阿弥陀三尊の刻まれた板碑―妻沼大我井旧在(現歓喜院前に移転)
※東京都浅草の法源寺に同形、康元2年(1258)銘の板碑が所在していた(戦災により所在不明)。
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本郷台地(Googole Erath Pro+東京地形地図より) 本郷台地(拡大)
(Googole Erath Pro+東京地形地図より)

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外国人留学生「星溪園を味わう」体験講座 [普及事業]

 熊谷市内にあるアルスコンピュータ専門学校の外国人留学生に熊谷市指定名勝「星溪園」や石上寺などを御案内しました。各留学生の出身国はウズベキスタンやスリランカ、モンゴル、中国など様々で、同校の国際ITビジネス科の藤原美香先生をナビゲーターとして来場されました。今回のご案内は市政宅配講座「星溪園を味わう」として開催し、地域の歴史や日本文化を学ぶ機会を提供しました。その後、星溪園で茶道の体験をしました。御茶席は宗徧流四方庵の方々が担当しました。英語での解説や対応などラグビーワールドカップやオリンピックでのインバウンドに対するおもてなしのデモンストレーションになったようにも感じました。熊谷の星溪園で庭園美や日本文化を学び、お茶会体験をする。そんなツアーの受け入れ態勢も模索できたらと思います。


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お茶会の説明

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お抹茶と和菓子を味わう

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石上寺本堂を前に



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熊谷市指定有形文化財「千体地蔵」の公開 [普及事業]

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市指定有形文化財「千体地蔵」及び本尊(中央)の公開(2016年の様子)


2013年9月の竜巻で全壊した地蔵堂から「救出」された千体地蔵(市指定有形文化財)が修復を終え、昨年の2016年10月に一般公開されました。この公開は多くの反響を呼びました。そして昨年に引き続き、本年も一般公開を開催します。

日時 2017年10月23日(月)13:00〜19:00
ところ 浄安寺本堂(熊谷市御正新田248-1)


 千体地蔵は桐や杉材が多く、高さ10~25センチの像です。古いもので江戸中期につくられたことが推定されます。浄安寺での祈願を込めて多くの参拝者が奉納した仏像で、仏師による作品から奉納者の手製によるものなどがあり、当初は800~900体あったとされていますが、戦後の混乱期などを経て現在は約640体が奉納されています。熊谷市教育委員会は竜巻の後、被災した文化財を救出・保全する「文化財レスキュー活動」を実施し、全壊した地蔵堂の中から千体地蔵を回収しました。その後、専門学校である東洋美術学校によって調査及び保存管理が進められてきました。本年は公開前に虫害からの保存処理を講じました。会場では東洋美術学校によるこれまでの調査報告や今後の保存に向けての検討を含めたパネル展示を行う予定です。

問合せ 浄安寺 048-536-0920
    熊谷市立江南文化財センター 048-536-5062


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第10回地域伝統芸能今昔物語の実行委員会開催 [民俗]

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実行委員会での野原晃会長(熊谷市教育委員会教育長)の挨拶

今年度で10回目を迎える地域伝統芸能今昔物語。毎年恒例の11月23日の勤労感謝の日に、会場は江南総合文化会館ピピアで開催されます。開催に向けて第1回の実行委員会が江南文化財センター講座室で開催されました。開催要項や会則、予算案などが了承され、事業開催に向けての実質的なスタートアップとなりました。協議では出演団体の調整や発表内容の確認を行い、この会議での調整事項を踏まえて、各団体の練習も始まりました。詳細については改めて市ホームページやこのブログなどを通じてご案内いたします。


第10回地域伝統芸能今昔物語開催要項 

埼玉県芸術文化祭2017地域文化事業
「第10回地域伝統芸能今昔物語」開催要項

1 趣  旨
  市内各地に継承保存された市指定無形民俗文化財と、地域に根ざし広められた芸能との共演により、市民の芸能活動への理解を高めるとともに、伝統芸能の未来への継承を目的とした発表及び披露の場を提供する。

2 名  称
  埼玉県芸術文化祭2017地域文化事業「第10回地域伝統芸能今昔物語」

3 主  催
  埼玉県 埼玉県教育委員会 熊谷市 熊谷市教育委員会
  埼玉県芸術文化祭実行委員会
  埼玉県芸術文化祭熊谷市実行委員会
  
4 後  援
朝日新聞さいたま総局 共同通信社さいたま支局
埼玉新聞社 産経新聞社さいたま総局 
時事通信社さいたま支局 東京新聞さいたま支局
毎日新聞社さいたま支局 読売新聞さいたま支局 
  NHKさいたま放送局  テレ玉 FM NACK5
JR東日本 大宮支社

5 開催日時
平成29年11月23日(木・祝)12:00開場
                12:30開演
                16:00終演(予定)
                  
6 会  場
江南総合文化会館ピピア
〒360-0107 埼玉県熊谷市千代325-1
電話:048-536-6262
ファックス:048-536-6377


7 出演団体(出演順)
1. 妻沼幼稚園(演舞「実盛慕情」)
2. 東別府祭ばやし保存会(東別府祭ばやし)
3. 間々田万作おどり保存会(間々田万作おどり)
4. 和太鼓集団「麗」(和太鼓演奏)
5. 押切ササラ獅子舞保存会(押切ササラ獅子舞)
6. 相上神楽保存会(浦安の舞)
7. 熊谷山車屋台祭研究会・彩鼓連(熊谷祇園囃子)
(15分間休憩)
8. 箏曲雅会・箏和くわく塾(箏曲)
9. 手島楽友会(八木節笠踊り)
10.藤蓉会(直実節)
11.上川原神道香取流棒術保存会(棒術と解説)
12.大里いなほ会(沖縄舞踊・大里音頭)
13.池上獅子舞保存会(池上獅子舞)
14.むさし江南音頭保存会(むさし江南音頭・直実節)


問合せ
埼玉県芸術文化祭熊谷市実行委員会
(熊谷市立江南文化財センター)
電話 048-536-5062



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実盛供養塔と言われた板碑 [その他]

 古代末から中世の社会では死後への恐怖から、浄土への再生を強く希求していました。なかでも阿弥陀如来への信仰は、上は貴族から下は庶民までその思いはすがりつくような強烈なものでした。実際、藤原氏などの貴族たちは六勝寺や平等院などの浄土庭園を備えた寺院の建築から、阿弥陀像の造像や仏画、写経、参籠(墓参りなど)、経塚、石塔の製作などに狂奔していました。
 規模の大小、財力の差はあれ、市域でもこのころに武士を開基とする寺院の建立や、経塚、そして供養塔の造立が多数見られ、新興宗教の流布とともに板碑などの多くの石造物の建造へと拡大していくようです。熊谷直実が浄土宗を開いた法然に帰依したことはよく知られていますが、浄土真宗を開いた親鸞に帰依した関東の武士たちも多かったようです。
 熊谷妻沼地域(長井荘の区域)には、特徴的な仏教遺物で「善光寺式阿弥陀三尊画像板碑(写真1)」という型式の石造物が集中するという特徴があります。碑面は光背の形に彫り窪め、阿弥陀三尊像を七体の化仏とともに浮彫(半肉彫)に表現しています。銘文は現在では確認できませんが、刻書ではない可能性もあります、その場合漆の下地に五彩、金銀彩を施した華麗な姿に彩られ、覆屋か小堂に祀られていたのでしょう。「地獄草紙」に見える小仏塔に近いものがあると思います。当初は経塚と並び立っていた可能性もあります。
経塚・仏塔の建造から聖天堂の開創にあたっては、この地を基盤の一つとしていた斎藤実盛と類縁の一族が関わったと考えています。なお、この板碑と同形の板碑が当時の利根川河口に当たる浅草で発見されていることから、妻沼と東京湾を結ぶ利根川を水路とした経済的・歴史的背景が隠れているように思えてなりません。
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埼玉県指定有形文化財(考古資料)
「板石塔婆(善光寺式三尊像)」
(※写真1)
熊谷市指定有形文化財(考古資料)
「福寿院板石塔婆」
※他に、玉洞院 能護寺 個人宅に保存されている。東京都浅草の法源寺には、康元2年(1258)銘とされる板碑が所在していた(戦災により所在不明)。
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「餓鬼草紙」にみえる画像塔婆(東京国立博物館蔵)

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大我井経塚の発掘調査2 [発掘調査]

 大我井経塚の出土品は報告書に記載されていますが、実物を東京国立博物館で見学したことがあります。
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3号経筒中の経巻の状態図
経筒や和鏡、短刀などの金属製品とともに、土中にあっては腐朽してしまう有機質の遺物が出土していました。その一つの竹製品は「扇」であり、和鏡とともに女性の持ち物とされます。和紙は経筒の中に納められた「経典」(如法経―法華経の一部とされる)は密着して塊となっており、しかも風化して崩れやすく、とても開けるような状態ではありませんでした。しかし、この経巻は文字資料として、経塚造立の意図や関係者の名が記されている可能性が高い遺物です。
 東大寺の大仏殿から発掘された経巻類は固着した文書で、その状態から「ろうそく文書」といわれます。この文書をなんとか開いたところ大仏開眼に列席した僧侶の名簿でした。万人に及ぶ名前がずらりと書かれていました。このように腐朽を免れ出土した経巻類などから実際に書かれた文字が判明する場合もあります。八王子市の白山神社経塚からは仁平四年(1154)の奥書が朱書された経巻が出土しています。
 大我井経塚の経巻断片も朱書された文字が観察されました。この経典残闕を開き、読むことができれば、斎藤一族と結縁者の名が明らかになるのではないかと推定されます。将来、技術の進歩によって可能となる日が来るでしょうか。
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バラバラの経巻
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3号経筒の経巻 3号経塚の短刀

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大我井経塚の発掘調査 [発掘調査]

 今は妻沼小学校の敷地となっている大我井森の中に、前回紹介した板碑と経塚がありました。この経塚について紹介します。妻沼経塚あるいは大我井経塚と呼ばれるこの経塚遺跡は、昭和32年9月に妻沼小学校の校舎造成工事に際して発見されました。不時発見の報告を受けた当時の町教育委員会と県教育委員会では、県文化財保護審議員でもあった熊谷市の小沢国平氏を急行させ、すでに多く遺物が発見されていた中、その重要性を理解され、直ちに発掘調査に取り掛かりました。県からは当時の埋蔵文化財の担当者であった柳田敏司氏らが加わりました。大我井経塚は関東地方でも数少ない経塚の発掘例としてまた、出土遺物の豊富さから国立博物館に収蔵されることとなりましたが、その内容は発掘報告書と妻沼町誌に発掘担当者の小沢氏らと妻沼町教育委員会の手によって報告されています。
 挿図は当時の実測図です。遺物写真は最近のものです。
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3号経塚の断面図(上)・平面図(下)
 石室の中央に経筒が据えられ、周囲に短刀と和鏡が取り巻くように埋納されていた。男女の結縁者が身に帯びていた短刀又は鏡を納めたものでしょう。銹がひどく保存状態が不良だが41振以上あったとされます。

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3号経塚の経筒実測図(左)と経筒(右)
 経筒内には融着した経巻がひと固まりで残っていた。(実測図中の左上)

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和鏡 山吹双鳥鏡
 鋳上がりが良く文様も明瞭。直径12㎝。
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くまここフォトコンテストで熊谷のまちなか再発見 [お知らせ]

くまここフォトコンテストを開催します。


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熊谷市の観光・文化財ナビアプリ「くまここ」を活用し、まちなか(中心市街地)で撮影した写真を募集するフォトコンテストを開催します。株式会社まちづくり熊谷が主催し、熊谷の風景や観光スポットに光を当てるコンテストです。熊谷市街地のランドスケープ(景観)を再発見し、素敵な画像を応募してみてください。賞品もあります。どうぞご参照ください。


概要

応募期間  11月1日(水)~

詳しい実施要項はこちらをご覧ください。
http://www.machi-dukurikumagaya.com/wp/wp-content/uploads/2017/10/086532564c19a7dfcd52e4e2a5aeba46.pdf
(PDFデータ)

賞  品
「まち元気」熊谷市商品券を贈呈
月間MVP:5,000円分(1名様)、1,000円分(3名様)

詳細はまちづくり熊谷ホームページをご覧ください。
http://www.machi-dukurikumagaya.com/

株式会社まちづくり熊谷インスタグラム
https://www.instagram.com/machidukuri_kumagaya/


問合せ(フォトコンテストについて)
株式会社まちづくり熊谷 Machi-dukuri KUMAGAYA Co.,Ltd
〒360-0041 埼玉県熊谷市宮町二丁目39番地 熊谷市立商工会館3階
連絡先 TEL:048-501-8855 FAX:048-501-2888
E-mail: machi-dukuri_kumagaya@silk.plala.or.jp

(観光・文化財ナビアプリ「くまここ」について)
熊谷市立江南文化財センター(〒360-0107 埼玉県熊谷市千代329)
TEL:048-536-5062 FAX:048-536-4575 
E-mail c-bunkazai@city.kumagaya.lg.jp




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