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西別府廃寺発掘調査2 [発掘調査]

先月より調査を行っている市内西別府地内の西別府廃寺。10m×10mの日よけテント2基で調査区を覆い、調査を進めています。
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残念ながら基壇建物跡は確認できていませんが、性格不明の大きな掘り込みの中から、平安時代の瓦が多量に出土しています。
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↓は、ほぼ完形の唐草文様の軒平瓦。8世紀後半と思われます。
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奈良村合併之碑 [その他]

市内下奈良のJAくまがや奈良支店の敷地内に所在する「奈良村合併之碑」を紹介します。
本碑は、奈良村が昭和29年(1954)に別府村、三尻村とともに熊谷市へ編入されたことを記念して昭和29年(1954)11月3日に建てられたものです。篆額・撰文・書:石坂養平。高181.0cm、幅136.0cm。
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碑文には「ここに新たに熊谷市民となったわたくし達はこの際覚悟を新たにし自己の権益を主張するとともに義務を完逐する良識ある市民となろうではないか」との決意が刻まれています。

石坂養平(1885-1969):奈良村出身の文芸評論家・政治家。大正4年(1915)の「芸術と哲学との間」で注目され、「文章世界」などに執筆。一方政界に進出し、昭和3年(1928)衆議院議員(当選4回,日本進歩党)、戦後は埼玉県公安委員長、埼玉県文化財保護審議委員、埼玉県文化団体連合会長などの要職に就きました。

池上の獅子舞 [お知らせ]

熊谷市指定無形民俗文化財の「池上獅子舞」が、下記の通り披露されますので、お知らせします。
日 時:平成28年8月28日(日):午前9時~(獅子舞村廻り)、午後6時~(獅子舞奉納)
場 所:古宮神社(熊谷市池上606)
この獅子舞は、文安年間(1444~1449)に、京都岩清水八幡宮から伝授されたと伝えられています。
また、この獅子舞にかつて使用されていた隠居獅子に、法眼・雌獅子・雄獅子の3体があり、法眼と雌獅子には宝永5年(1708)の銘文があります。龍頭形式で、頭に被る竹籠の取付け位置が後方に下がり、古式の形態をよく残しています。神社の裏手を流れる古宮川に獅子頭をもって雨乞いに行ったとも伝えられており、この3体は、熊谷市指定有形民俗文化財に指定されています。
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また、獅子舞の様子は、YouTube(チャンネル名「konancpc」)に、熊谷市指定無形民俗文化財「池上獅子舞」をupしておりますので、ご覧ください。

土器焼成 [普及事業]

8月8日の体験事業、『あなたも古代人』「土器づくり」で作成した作品を、1種間程乾燥させた後、電気窯に入れて焼成を行ないました。
設定温度は800度で、10時間焼成しました。
焼成後、熱を冷ましてから、電気窯の扉を開けた状態が↓です。
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出来上がった作品をいくつか紹介します。
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スカートをはいたような踊る埴輪です。
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卵形の踊る埴輪です。
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今回唯一の「武人埴輪」です。

梅所居士廣記碑 [近世]

市内玉井の旧光福寺境内に所在する「梅所居士廣記碑」を紹介します。
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本碑は、梅所と号し、天保9年に没した玉井村の私塾師匠片岡良の業績を記したものです。天保10年(1839)私塾子弟により建立された一種の筆塚。
書:巻大任 文:佐藤坦 刻:窪世祥 石材は根府川石(安山岩)。
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書・文・刻とも当時の一流所によりつくられた碑です。

巻大任:(1777-1843) 江戸時代後期の日本の書家。現・新潟県新潟市西蒲区巻生。姓は池田、後に巻を名乗る。名は大任(おほに)、市河米庵(1779-1858)・貫名菘翁(1778-1863)と共に「幕末の三筆」の1人。幼少の頃から新潟の中心部で育ち、善導寺の住職に書の手ほどきを受け、19歳で江戸へ行き亀田鵬斎(1752-1826)に書法と漢詩を学ぶ。31歳のとき書塾「蕭遠堂」を開く。平明で端麗な書風は、千字文などにより、世に広く書の手本として用いられた。門下生は1万人を超えたと伝えられ、「菱湖流」と呼ばれた流派は幕末から明治にかけての書道界に大きな影響を与えた。立原杏所(1786-1840)から、千年に1人の傑出した能書家として「上下千年」と刻した印を贈られている。

佐藤坦:(1772-1859) 佐藤 一斎。美濃国岩村藩出身の著名な儒学者。諱は担。通称は捨蔵。岩村藩に仕え、12・3歳の頃に井上四明に入門し、大坂に遊学し中井竹山に学ぶ。その後、昌平坂学問所に入門し、文化2年(1805)には塾長に就き、多くの門弟の指導に当たった。

窪世祥:生没年不詳の江戸後期の石工で、「中慶雲」「広瀬群鶴(1750-1809)」とともに、江戸の3大名石工と言われています。「窪 世祥」が刻んだ石造物の年号は、文化元年(1804)~安政元年(1855)の51年間です。中村仏庵(書家:1751-1834)・酒井抱一(画家・俳人:1761-1829)・亀田鵬斎(書家:1752-1826)等の文人と親交があった。

藤原光俊句碑(大我井神社) [句碑・歌碑]

市内妻沼の大我井神社境内に建てられている藤原光利の句碑を紹介します。
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「紅葉ちる 大我井の杜の夕だすき また目にかかる 山のはもなし」
鎌倉期の歌人藤原光俊が、東山道への道すがら太我井の杜を眺望し詠んだ句です。
本碑は、昭和17年(1942)田島峯吉外有志で建立したものです。書:相馬御風

藤原光俊:(1203-1276)鎌倉時代の公家、歌人。順徳天皇に近侍し,承久の乱で筑紫に配流。嘉禎元年(1235)右大弁となるが、翌年出家。将軍宗尊親王の歌道師範。「続古今和歌集」撰者の一人。

相馬御風:(1883-1950) 詩人・歌人・評論家。本名は昌治。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。

芭蕉句碑(歓喜院) [句碑・歌碑]

市内妻沼の歓喜院境内に設置されている芭蕉句碑を紹介します。
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「むざんやな 甲の下の きりぎりす」
この句は、芭蕉が、実盛の兜がまつられている石川県小松市の多太神社を訪れた際に詠んだ句です。
昭和54年(1979)聖天山開創800年を記念して、斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会(会長:堀越敬紀)が建立したもので、裏面には、20の現代句が刻まれています。
書:柴田侑堂 刻:原田美智夫

柴田侑堂(1913-2006) 俳号:白陽 市内上新田生。18歳で書の道に入り、熊谷市書人連盟、埼玉県書道人連盟、書道団体「洸風会」の創設に参画し、埼玉県美術家協会においても要職を歴任し、その功績により埼玉県文化功労章を受章するなど、郷土の書道界の振興に大きな足跡を残す。また、俳誌『相思樹』を主催し、朝日新聞・産経新聞の俳壇選者を務めた現代俳句人。

万吉氷川神社祭囃子 [動画]

YouTubeの「江南文化財センターチャンネル」に、市内吉岡地区の万吉氷川神社の夏祭りで奉納されている祭囃子を紹介します。

この祭囃子は、江戸時代後半からの伝承とされ、昭和40年代まで夏の祭礼時に演奏されていましたが、一時中断しました。平成20年頃から地元で復活の気運が高まり、保存会が結成され、再び地域の伝統芸能として親しまれています。

宮下遺跡発掘調査14 [発掘調査]

宮下遺跡の発掘調査の紹介14回目。平安時代の住居跡の調査を進めています。
長方形の掘り込みの平安時代の住居跡の調査風景です。写真奥がカマドで、壁の下には溝が巡ります。
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羽口(はぐち)の出土状況です。羽口とは、鉄をつくる鍛冶炉に風を送る素焼きの送風口です。端部は鍛冶炉に差し込まれるため、高温により変色しています。
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同じ住居跡からは、鉄滓(てっさい:スラグ)と呼ばれる、製鉄の際の残りかすが出土しています。
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↓は、鉄をつくる工程です。
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芭蕉追善脇起俳諧連歌碑 [句碑・歌碑]

市内上中条の常光院境内に建てられている、芭蕉翁の三百回忌を記念して、平成5年(1993)に連句協会埼玉支部が建てた、追善脇起俳諧の連歌碑を紹介します。
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「旅人と 我名よばれん 初しぐれ」芭蕉翁 と刻まれています。
出典は『笈の小文』(おいのこぶみ:紀行文)。貞亨4年(1687)10月25日、芭蕉が亡父三十三回忌の法要に参列するために江戸深川を出発する際、10月11日其角亭で行われた送別句会で詠まれた句。
この句に続き、「なお咲きつづく山茶花の道」小久保康田 以下42句が刻まれています。

小久保康田:常光院貫主。


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