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田島一宿句碑 [句碑・歌碑]

市内円光二丁目地内の報恩寺境内に建てられている田島一宿句碑を紹介します。
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本碑は、昭和50年10月に高唱俳句会・詩吟包容会の有志12名により建てられたもので「一枚の ハガキの重み 沈丁花」の句が刻まれています。

田島一宿(1896-1973):俳人。本名一郎。号は「熊谷草」「桜蓮子」。市内仲町田島旅館生まれ。家業を継ぐかたわら文芸に興味を持ち、俳句の道に研鑽。大正11年国民新聞俳壇の虚子選に「麦秋や 電車となりし 秩父線」が選ばれる。大正15年1月、市内石原の「乱雲会」、上之の「若葉会」とともに俳句結社「泉吟社」を創立する。同年2月には虚子、池内たけしを迎えて星渓園において泉吟社発会の記念句会を催した。戦後の混乱期には「熊谷俳人会」を結成し、熊谷市文化連合の創立に参画した。昭和27年熊谷市文化功労者として市より表彰を受ける。また、熊谷市政20周年記念の熊谷市歌や、市内各校の校歌や各会の会歌等の作詞を行っている。

宮下遺跡発掘調査22 [発掘調査]

宮下遺跡の発掘調査の紹介22回目。
調査は、調査区西端の埋没谷と遺構の調査が終盤にさしかかっています。
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開発予定地の北西隅に浄化槽が埋設されることになり、急遽調査を行ったところ、近世の溝跡から、古墳時代の埴輪片が出土しました。
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人物埴輪顔面の一部で、鼻と下部左側には口角の一部、上部左側には目の切れ込みが確認できます。胎土には細かい砂粒を比較的多く含んでいるのが特徴です。
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鼻は高く、きれいなつくりとなっています。
近世の溝からの出土ですが、古墳の周溝を切っている可能性もあり、今後調査を進めて、古墳が存在した可能性や、遺跡の西側には権現坂埴輪窯跡群があり、粘土採掘坑や工房跡も見つかっていることから、関連性を探っていきたいと思います。

野口雪江奉納両聯 [近世]

熊谷出身で、寛政の3名筆の一人と称される野口雪江が、寛政9年に浅草の浅草寺に奉納した両聯(りょうれん:細長い札)を紹介します。
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RIMG3644-2.jpg「十方来人皆対面」
RIMG3647-2.jpg「仏身円満無背相」
浅草寺本堂内の外陣に掲げられているもので、般若讃の中の語句を書いたものです。
浅草寺にお参りに行った際にはぜひご覧ください。

野口雪江(1732-1799):享保17年12月7日熊谷(母方の下奈良の栗原家)に生まれ、名は秀航。父は大善院七世秀猷、母は奈良村の栗原氏。若くして金峰山に入り修験道を修行し、護法を修め、鎌倉町の熊谷総鎮守愛宕神社の祠官をつとめた。若いころより学問にはげみ、17歳で肥塚の東有隣から経史を学び、18歳の頃江戸に出て、当時名声のあった書家の関思恭に入門し、書道を研鑽した。
性質謙譲、博識で書道に秀で、寛政9年、弟子の勧めにより東京浅草の浅草寺に「仏身円満無背相」「十方来人皆対面」なる般若讃の中の語句を書いた両聯を奉納し、世の書家から「寛政の三名筆」としてたたえられた。
また、俳諧・書道に後進の育成に当たり、宿役人であった竹井新右衛門、石川清左衛門、石川藤四郎らも雪江の教えを受けた。そして、江戸後期の熊谷宿の有識者として、俳諧の師建部涼袋や儒医の三浦無窮をはじめ、多くの文人墨客たちと交わり、幅広い文化活動を推進した。

光運和尚碑(石橋供養塔) [近世]

市内柿沼の龍昌寺境内に建てられている光運和尚碑(石橋供養塔)を紹介します。
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光運和尚(1791-1859)は、龍昌寺の16世。埼玉郡若小玉村(現行田市)生まれ。9歳の時に龍寺16世に就いて剃髪、学を修め、23歳の時大里郡御正村浄安寺、37歳の時龍昌寺に移ります。この間密法に精修し布教の傍ら、村人に読書習字を教え、倹約をして田畝一町、山林一町六段を購い寺産となし、備金200両を営繕費に充てています。
光運和尚の没後、明治16年に村人が相謀って、光運和尚の遺金をもって村内に石橋3か所を架し、これを光運橋と称しました。明治19年11月に光運和尚の事跡を惜しんだ邑長及び門人が、石橋供養塔(本碑)を建立しています。
篆額:学斉林昇、撰・書:法類真光寺住職沙門光賢。

学斉林昇(林學齋)(1801-1859):江戸の儒学者。名は昇、字は平仲、号を学斎と称し、林復斎の子で林家の家学を継承。安政6年大学頭を継ぎ、従五位に叙された。明治7年司法省明法権大属となり、明治21年日光東照宮主典を務め、明治33年退官。東京に住んだが火災にあい、林家の採地であった市内柿沼の四分一兵衛に迎えられ、離れを隠居所とし、付近の子弟に学問や書を教えた。

きかは便郵104 [きかは便郵]

熊谷地域の絵葉書紹介104回目。今回も昭和36年に刊行された、「くまがや」第二集(海外版)絵葉書集の紹介2回目、4枚中の2枚です。
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熊谷市指定文化財名勝「星渓園」です。写真左側には「名勝 星渓園」、写真下には「玉の池とも呼ばれ、元和9年(1623)荒川洪水のとき、桜堤が切れ、欠所ができ以来荒川の水がここに湧き出て泉をつくり、星川の水源となって市の中央を貫流する。緑と静粛の庭園として訪れる人が多い」「Seikeien,Typical Japanwse Garden in Kumagaya(1623)」と印字されています。
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熊谷寺です。写真下には「名勝 熊谷寺 旧熊谷館跡にあり、約700年の昔、関東武者の勇将熊谷直実公が武士をやめここに仏庵を結んだところで、この堂宇は大正4年に建てられた。高さ20mの総けや木造りで豪壮の建築で名高い。熊谷レポート7」「Kumagaya Temple(1190)」と印字されています。

包紙の内側には。「NAOZANE KUMAGAYA(1141-1208) NAOZANE KUMAGAYA,a well-knoun warrior of the Cenji Clan,found his life transient and unstable after Ge had killied ATSUMORI ,a young prince of the Heike hlan at the battle of ichinotani,became a pricest by the name of RENSHO at the age of 54 and founded a temple in Kumagaya , where he died on September 14,1208」と熊谷直実の説明が印刷されています。

また昨日本ブログの総閲覧者数が720,000人を超えました。今後ともよろしくお願いいたします。

「BUNKAZAI情報」第19号発行 [お知らせ]

「BUNKAZAI情報」第19号を発行しました。
今回は、トピックスとして「妻沼聖天山の建造物9件が国登録有形文化財に」、市内遺跡発掘情報として、「前中西遺跡」、「諏訪木遺跡」、「西別府廃寺」、連載 くまがやの古墳群「⑬ 上之古墳群-実態が分かりつつある古墳群-」、文化財センター通信として「観光・文化財アプリ「くまここ」リニューアル」、「坂田医院旧診療所の一般公開」、「浄安寺千体地蔵公開「お地蔵様の日」」、文化財探訪として「小江川・聖観寺跡」、文化財コラムとして「古代との遭遇・第19話『宮下遺跡』続編」等を紹介しており、盛り沢山の内容となっています。
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江南文化財センター等にて無料配布していますが、熊谷デジタルミュージアム>読書室>PDF文庫2より、カラーPDF版がダウンロードできますのでこちら(1.12Mb)からご覧ください。

前中西遺跡出土瓶19 [瓶]

前中西遺跡出土の瓶の紹介19回目。今回は「キリンレモン」340ml瓶です。
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「キリンレモン」は、、麒麟麦酒株式会社(現キリン株式会社)が、昭和3年(1928)3月16日より販売しているロングセラーの炭酸飲料です。
頸部には「KIRIN BREWERY CO.LTD」とエンボスされ、側面下半には、麒麟の絵と「キリンレモン」「KIRINLEMON」と印字されています。器高23.5㎝、口径2.5㎝、底径6.0㎝を測ります。
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340ml瓶は、昭和33年(1958)の発売以来同一デザインを踏襲しており、、2002年に軽量化され、2010年に製造を終了しています。本瓶は、軽量化前の製品と思われます。
ちなみに、初代キリンレモンイメージガール(1966-1971)は、ジュディ・オングです。

久下の馬頭観音(愚禅書) [近世]

以前広瀬の愚禅書の馬頭観音を紹介しましたが、今回は、久下の一里塚跡の脇の土手に建てられている愚禅書の馬頭観音です。
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天保12年(1841)二月に講中により造立されたもの。左側面に「前大乗愚禅翁■」、台座には講中13名の名前が刻まれています。熊谷、鴻巣への道標を兼ねています。
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愚禅和尚(1733-1829):比企郡羽尾村の須沢家の養子になり、近くの興長禅寺の癡天愚(ちてんぐ)和尚により剃髪後、延享3年(1746)長州功山寺に赴き修行。宝暦11年(1761)武州忍領龍光禅廓会首職、翌12年(1762)には村に戻り興長寺20世住職となる。寛政元年(1789)大乗寺43世貫主に推戴された後、文化5年(1808)熊谷宿原島の福王寺を開基し、「観音構式」の校訂や「仏道事引草序」の著述を行う。板石塔婆や石塔、山門碑など各地に多くの筆跡を残している。

北島遺跡見学会 [お知らせ]

市内上川上の北島遺跡で下記のとおり遺跡見学会が、公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団により行われますのでお知らせします。
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日   時:平成29年1月14日(土) 午前9:00~午後1:00 小雨決行 
集合場所:北島遺跡発掘調査事務所(熊谷スポーツ文化公園内P3駐車場西:埼玉県熊谷市上川上300)
主   催:埼玉県教育委員会、公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
後   援:熊谷市教育委員会
問合せ先:埼玉県埋蔵文化財調査事業団0493-39-5345(月~金9:00~17:00)、見学会当日080-6815-1195(発掘調査事務所)

北島遺跡は大規模な古代のムラの遺跡です。今回の調査では、古墳時代後期と平安時代の住居跡が多数発見され、当時の人々が使っていた土器などの生活道具が出土しています。この機会にぜひご覧いただき、はるか昔の人々の暮らしを体験してみてください。
*見学会受付は来場時に随時行いますので、開催時間内にお越しください。事前予約は不要です。

箱田石橋供養塔 [近世]

市内箱田地内の成田用水支線脇に設置されている石橋供養塔を紹介します。
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この供養塔は、斉藤蔵之助利勝(1844-1900)が、私財を投じて成田用水及びその支線の土橋33か所を石橋に架け替え、その功績により、明治14年埼玉県より銀杯2個を賜った事を記念して建てられてものです。
碑文正面には「共有石橋三十有所供養塔」、側面には「明治一四年第六月架設大願成就 埼玉県庁許可賜賞銀杯二個 濫觴結議 十六年第九月建之 寄附主箱田村住斉藤蔵之助利勝 斉藤孝戔昌勝 戸長斉藤太郎兵衛 筆生岩田善之丞 世話人巌田若助 金子善吉 斉藤周一郎 孝戔孫仁子拝書」と刻まれています。
RIMG3595.jpg斉藤蔵之助の名前が刻まれている。

斉藤蔵之助利勝(さいとうくらのすけとしかつ)弘化元年(1844)-明治33年(1900)。石坂兼松が市内箱田の斉藤家に入婿し、二代目蔵之助を襲名。公益の念厚く、地内の悪路、橋梁の破損多く交通の不便を憂い、多額の私財を投じて成田用水及びその支線の土橋33か所を石橋に架け替えた。その功績により明治14年埼玉県より銀杯2個を賜っている。
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