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藤之宮遺跡発掘調査1 [発掘調査]

 上之土地区画整理事業地内において、平成29年度の発掘調査が始まっています。
 今年度は、藤之宮遺跡において、昨年度の調査箇所に隣接する箇所で調査が始められていて、現在、作業員さんによる遺構確認作業が終わり、遺構の掘削を順次行っています。
 確認されている遺構は、古墳時代後期の竪穴住居跡のほか、中世以降の溝跡などです。
古墳時代後期の竪穴住居跡の1軒は、煮炊きをしたカマドの遺存状態が良好なものです。

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作業員による遺構掘削状況
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古墳時代後期の竪穴住居跡(手前がカマド)

妻沼聖天山絵馬調査 [近世]

本年は妻沼聖天山本殿「歓喜院聖天堂」が国宝に指定されて5周年となります。熊谷市教育委員会では国宝指定5周年を記念して妻沼聖天山が所蔵する絵馬や奉納額を特別展示する予定です。7月上旬から8月下旬に妻沼展示館での開催に向けて準備を進めています。本日は今後の搬出に向けて展示する絵馬などの収蔵庫を確認しました。平成17年からの保存修理工事の際に本殿に掛けられていた絵馬群を取り外し、その後は収蔵庫にて保管され、一般には非公開でした。旧妻沼町時代に絵馬群の調査を実施され、概要について把握されている状況ではありましたが、当時の様子と異なる点や変色した点などが見受けられ、今後クリーニングや一部補修を実施しての展示となる見込みです。そして、何よりそれぞれの絵馬の重さが相当量あり、大人4人でも持ち上がらないものも複数ありました。これらの資料は妻沼聖天山の歴史を知る上では貴重な文化遺産です。調査研究を進めながら、皆さんに公開できるよう、その方法などを模索していきたいと思います。

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宮下遺跡整理作業2 [整理作業]

 先週お知らせしたくまぴあでの宮下遺跡の整理作業における続報をお知らせいたします。
この宮下遺跡の整理作業は報告書の刊行までを今年度いっぱいで完了する予定です。そのため、整理作業の効率化を図るため、自動で遺物に注記できる機材を導入いたしました。
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 インクで比較的自由度が効き、素早く吹き付けができます。作業の効率化にはなりますが、大きな土器片や壺、甕などの大きなものなどになると吹き付けができないことから、手書きで注記しなければならない状況です。
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今後、順次、整理が進んでまいりますので、随時お知らせいたします。

玉井村道路元標 [その他]

市内玉井地内の旧中山道に面して設置されている「玉井村道路元標」を紹介します。
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花崗岩製で、地中に1/2程埋まっています。
玉井村は、明治22年(1889)4月1日 町村制施行に伴い、玉井村・久保島村・新堀村・高柳村が合併し、幡羅郡玉井村が成立し、昭和16年(1941)4月10日熊谷市に編入して消滅しています。

道路元標:道路の起終点を示す標識。。明治44年(1911)に、現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置され、大正8年(1919)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。

太田村道路元標 [その他]

市内飯塚地区に所在する、旧太田村の道路元標を紹介します。
道路元標とは、道路の起終点を示す標識で、明治44年(1911)に、現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置され、大正8年(1919)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていました。
花崗岩製で、飯塚地内の県道127号線交差点付近に設置されています。。
太田村は、明治22年(1889)に、飯塚村、道ヶ谷戸村、永井太田村、八木田村、原井村、市ノ坪村、上江袋村が合併し太田村が誕生しました。昭和30年(1955)に妻沼町、長井村、秦村、男沼村と合併し妻沼町となっています。
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宮下遺跡発掘調査26 [発掘調査]

 宮下遺跡発掘調査の26回目の紹介です。
 宮下遺跡の発掘調査は、現在、5月末終了予定で、作業を進めている状況です。
 
 さて、調査と同時に進めている出土遺物の整理で、銙帯金具(かたいかなぐ)と思われる金具が、第66号住居跡から出土していることが分かりました。この住居跡は、出土土器から8世紀後半のものと考えられ、土器を硯に転用した、転用硯と呼ばれるものも出土しています。
 この金具は、古代の役人が儀式の際に締めた帯の先に付けられた、「鉈尾(だび)」 と呼ばれる金具ではないかと思われます。
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 ちなみに、銙帯金具は、当時の法律である養老衣服令のなかで材質や色が決められており、出土した金具は銅製であることから、六位以下の役人が締めていたものと推定されます。
当時、この集落には身分の高い人が居住していたものと考えられます。


中条古墳群発掘調査1-2 [発掘調査]

 先日から始まった発掘調査ですが、現在、竪穴住居跡と思われる遺構の人力による掘削中です。
 住居跡のプランはまだ不明ですが、土器が集中して出土していて、表土除去の際にも見られた土師器S字口縁台付甕のほか、土師器坩も見られ、概ね古墳時代前期であることは間違いないようです。
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土器出土状況
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作業員による掘削作業

「みかりや」の柚餅子 [近世]

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熊谷市久下の中山道にあった茶屋「みかりや」、その名物として知られているのが「柚餅子」(ゆべし)です。一般的に知られる甘い和菓子の「ゆべし」とは異なり、保存食としても作られている郷土食の一つです。中身をくりぬいた柚子に味噌や胡麻などを詰めて蒸し、2〜4ヶ月間かけて自然乾燥して作られます。国内の各地域に伝統的な製法による柚餅子が存在し、現在でも旅の土産などとして販売されています。「柚餅子」という言葉は、室町時代の書物にも示されており、長らく継承されている郷土の味です。「みかりや」の柚餅子は現在でも戸森家によって、その製法が受け継がれています。





別府の昔と今 [動画]






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西別府安楽寺の九品仏

熊谷市の西部に位置する別府地区はかつて幡羅郡別府村と称し戦後に熊谷市と合併しました。
平成26年頃から別府地区では別府公民館の高橋勇氏を事務局として研究会を結成し、旧別府村の歴史や地誌の調査を進め、その成果報告を『別府村史』として刊行しました。この度、同会メンバーが別府の歴史を分かりやすく紹介した動画「別府の昔と今」を制作し、YouTubeで公開しています。別府公民館や市内の図書館等で参照できる『別府村史』とともにこの動画をご参照いただくことで、歴史や文化が豊かに育まれた別府地区の「マジカルミステリーツアー」を楽しむことができます。



中条古墳群発掘調査1 [発掘調査]

 本日より、上中条地内の個人専用住宅建設予定地において、発掘調査が始まりました。
 調査は、まず、住居跡などの遺構が確認される面まで掘削機で表土を除去することから始まります。
 表土除去の結果、まだ明瞭な遺構は確認できていませんが、当時の地表面である地山において、色の違う土が堆積している箇所や炭化物が散っている箇所が見られることから、集落の跡が確認されているようです。
 また、出土遺物を見ますと、古墳時代前期の土師器S字口縁台付甕や器台が見られ、この時期の遺構があることが予想されます。
 明日からは、丁寧に地面を削り、遺構の検出が始まります。
 今後の調査進展に期待が膨らみますね。
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表土除去作業風景
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土師器S字口縁台付甕
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土師器器台

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